留学先の決め手。

クラスメイトに「kikiはカナダにデンマーク、僕がいつか住んでみたい場所で勉強してきて、素敵だね」と微笑まれました。彼は以前、エレガントな添削をしてくれたブリテッシュ君です。バラのような微笑み、いつも癒されます。どうやって選んできたの?と聞かれて「鼻が効くのかな」と誤魔化したけれど。今日はそんなことを思い出して書いてみようと思います。留学先の決断方法。

 

留学先はピンとくるまでいつも悩みに悩みます。ただこれは条件に上げないと決めていることがあります。複合的にはもちろん考慮されるべきことですが最優先にはしない、と云う条件が私にはあります。

  • 英語圏
  • 知り合いが住んでいる(頼る人がいる)
  • 箔がつく
  • 学費が安いだけ
  • 生活費が安いだけ
  • 有名
  • 強く勧めてくる人がいた(オススメの意見を読んだ)

私の略歴を知っている方に非難を轟々と浴びそうです。英語圏のカナダに行ってるし、学費が手頃な有名大学で勉強してるじゃんって。でも言い訳でもなんでもなく、結果論でそういう条件が付いてきただけで、それが理由ではありません。デンマーク、カナダ、オーストリア。とても個人的な理由ですが、一応言葉にできることがあるので書いてみようと思います。

 

留学先の決めて

  • 勉強したい分野、環境、指導者が揃っている
  • 国として惹かれるところがある
  • 落ち着いて生活出来そうである

この3つです。シンプルです。これがあって、初めて予算に合うのか、何語が必要か、という内容を精査します。特に最初の項目が一番重要です。どんなに辛いことがあってもここで学ぶんだ、その理由があるんだ、と思える「信じるもの」が私には必要です。特に年齢を重ねるにつれて。新しい文化の中でコミュニケーションに慣れるのには時間がかかります。母国の気心の知れた人達に会えなくなるのは寂しいです。海外生活が長くなると段々疎遠になり「もう私のことは忘れちゃったかな」という不安もあります。水も食べ物も変わります。医療システムも変わり、病院に行くのも一苦労です。自分の宗教でない国に暮すと、関係ない祝祭日に休み、休みたい時には休めません。下を向く理由なんて、ごまんとあります。恵まれた贅沢者の私ですら月に1回は泣いてます。情けないですが、異国で暮らすというのはそういうことの連続です。環境が違いすぎるので、うまくいかない原因を見繕うのは簡単です。それを引っ繰り返せる「ここにいる理由」は自分で見つけるしかありません。

 

自分で書いてて、私ってクソ真面目だなと思います。笑

でも「理由」が見つかると、覚悟も決まります。犠牲にしてきたことへの懺悔も込めて。誰も叱ってくれない年齢になると「やるしかない」というのは案外必要なガソリンな気がしています。

 

 

どうしてこんなことを書いているのかというと、実はある友人がウィーンで引きこもってしまっているのです。人の話を書くのはどうかと悩みました。何度か書いては消して。ただ、他人事ではないし本人の承諾も得ているので責任を持って人の話を引用します。

 

彼女はドイツ語も英語も堪能です。留学先は「綺麗な街だから」「有名な教授の元だから」「この大学を卒業すれば親が納得してくれる」「箔がつく」そういう理由で選びました。条件上完璧なウィーンの何が彼女を傷つけたかというと、ドイツ語圏文化でした。彼女は文化に馴染めず、ここでは母国のような親しい友人はできないと言っていました。とうとう、私に会うことも渋るようになってしまいました。もう1ヶ月はほとんど家から出ていないようです。

 

私はそっとしておくべきか、無理にでも会いに行くべきなのか悩んでいます。ただ、今は母国が同じ友人達としか会いたくない様子なので…。それに何よりその文化に馴染んでいるように見える私と会うことは、それだけでストレスなのかもしれません。

 

彼女は自分で選んでいるように見えて、親の顔色も伺っています。本人がそう話していました。交換留学生や、まだ経済的にも自立出来ていない若い年代で留学する場合、資金を援助してくれる親御さんの意見に支配されてしまう気持ちはわかります。親御さんも留学するなら、将来に役立つようにと色々助言したくなるのも当然です。日本の就職活動を考えると、新卒でも中途でも「誰もが納得する理由」が必要なんだろうということも想像できます。でも実際にはその「誰もが納得する理由」が「自分の理由」と一致していない場合は、それを原動力に異国で頑張るのは並大抵ではありません。

 

初めて会った時、目を輝かせてウィーンでの生活を楽しみにしていた彼女を思い出すと、何か出来ないものかと考えてしまいます。いっその事「遊学」と揶揄されようが、今の生活を楽しめたらいいのにとも思います。20代で見た素敵なことは、無駄にならないと思うから。異国で暮らすという感受性は、TOEICより役立つこともあります。

 

ただ、ここまで彼女のこと考えてしまうのは、私にもそういう辛い時期がくるのかもしれないと、思うからかもしれません。