恋しくても、嬉しくても。

明けましておめでとうございます。日本の冬も寒いですね、こんばんわ、kikiです。

日本に帰国してからもうすぐ1年になります。

 

食べたくなるものは、ヨーロッパの野菜たちで(味が濃かった)

食べれて嬉しいものは、美味しい蕎麦や梅干し

 

恋しくなるのは、ICの車窓から景色を眺めながら気ままに旅する時間で

恋しかったのは、甘酒片手に見上げる桜の季節

 

最初に困ったのは、漢字が滑って読めなくなったことで

今でも困っていることは、ストレートな人間関係を望んでしまうこと

 

一言で言うと、大変だったなと言うごく個人的な気持ちと

客観的にみたら、恵まれてたね、と言う一年だったような気がします。

 

客観的にみたら、と言うのは

40歳ですぐに生活に困らない仕事があって

なんならキャリアが続いていて

住む家があり

多少の持病はあれど

自由に生活できている。

 

個人的に、と言うのは

この10年で私は一人で私だけが見る景色を積み重ねてきた

その結果、10年前の私と親しかった人たちと

ほんの少し、薄い氷を纏ったような人間関係になってしまい

職場でも、「賢いちゃん」になってしまい

日本的な控えめさを失って、自覚を持って空気を凍らせてしまいがち

 

 

1年で海外から日本に帰ってきていた頃は、自分の中の変化も断片的で断続的でした。

そっと自分の心の中だけで、海外で見て、聞いて、感じてきたことを反芻することで

日本の日常に戻れるような、そんな感じ。

 

それが、多分年月とさらに教育を受けて、外国人がいない環境で働いてきたことで

自分の核が変わったことを、1年経つ今でも日々感じて、葛藤があります。

 

時々、選択肢の多い人生になったことで

私はそれまでより、より苦しんでいるような気がします。

でも、そうなるまでに積み重ねてきたことで、見つけられるようになった優しさや余裕が

例えば今は留学生や海外から来るアーティストたちを助ける方法を教えてくれたりします。

 

実は秋ごろに、ドイツから連絡があり、2024年に発表した作品で、ドイツ語圏の年間優秀アーティストに選出されました。その時に「どうして日本に帰ってしまったのか」とも言われました。確かに、もう半年早くこの知らせを受け取っていたら、あの時帰国の決断はできなかったと思います。

 

だから多分、日本に帰ってくる運命だったんだろうと思います。

今は、自分が見てきた、学んできたその風景を誰とも共有できない日々に寂しくなることも多くて。例えば生まれた場所から、東京暮らしになって、日々の生活が変わったことを地元の友達と共有できない。そんな感覚に近いかもしれません。

 

おかしな話ですが、一つのことに熱中して、勉強して、極めようと思って30代を勉強と経験に費やしたことで、私はなんだか20代をもう一度やったのかもしれません。タイムリープして2度目の20代として、勉学に勤しみ、日々新しい刺激の中で生活し、悲しんだり感動したりをして、急に40歳の元の人生に帰ってきた、そんな感じです。

 

自分の残してきたアイデンティティと、培ってきたアイデンティティの統合にはもう少し時間がかかりそうです。

 

ただ、母はとても嬉しそうで

海外の友達は寂しそうで

私は、選ぶべきものがわからないけれど

心でざわざわしていることを無視せずに

そっと時々目を閉じて、思い出したい景色を選ぶことにしようと思います

 

暇だといけないと聞くので

相変わらず新しいことを勉強したり

ドイツ語を使う機会を探して出かけたり

向こうの友達と交流を続けたり

 

何はともあれ

毎日を一直線にはできないけれど

上手に摘んで、束ねていきたいと思います。

 

こういう気持ちになるくらいに、私はこの10年

その時、その時、足が踏みしめていた土地で一生懸命生きてきたんだな。

 

まだ日本に帰ってきてよかったなと手放しには言えませんが

いかなる道でも、なるべく笑って、ちゃんと泣いて生きていきたい

そんな気持ちで、もうすぐ2年目の生活もやっていきたいと思います。

 

 

 

8年越しに奨学生の同期たちと初対面したら割と変人の集まりだった(ポジティブ)

短い春から気がつけば、とても久しぶりに日本の夏を過ごしています。

 

日本に帰ってくると、更新が途切れがちになるのは

忙しさよりも、仕事でとにかく1日中、それはもう10時間ぐらいカタカタカタカタカタカタ‥日本語でアウトプットするようになるからな気がします。

 

もう、日本語でキーボード叩きたくない、わぁーーーーみたいな。

 

実は先日、ウィーン留学開始時に奨学金を支給してくださった財団が主催の交流会がありました。あれから気がつけば8年以上経つようです。

 

kiikiii.hatenablog.com

 

 

当時は面接で財団の理事の先生方とお会いしたのを最後に、誰にも会うことなくウィーンに渡りました。同期の奨学生と理事の先生方と毎月レポートを交換していたので、文面でそれぞれがどんな研究をしているのを知っていた程度。科学や医療は別世界だし‥歴史学は奥深い‥みんな異国で奮闘しているな、と。

 

今回初めて実物に会って話して、全員分野は違えど、あの当時の研究の道を今は立場を変えてひた走っていました。見渡せば、この奨学金創設から、芸術分野は私だけだったようで。

おっ私の出来が悪かったからか?と思っていたところに理事の先生たちから

 

「あ〜Kikiさん!お久しぶりです。いやぁあなたのことはよく覚えてますよ。採択するかすごく議論になったから。あはは!」と声をかけられました。

 

やっぱり!

 

私の場合は実践と理論の二輪の芸術系で、日本では同じ学位が取れるところはそうそうなくて定量化が難しいし、当時私は30歳を超えていたし、そもそも日本にないことを勉強しに行こうとしてたし。それに芸術専門の財団も多いのでわざわざ医療や科学がメインのところから出さなくてもねぇってのもあったようです。まぁでも、最後はぶっ飛んでてあなた面白いから、いやぁ頑張りましたねってフォローされました。(フォローってことにしよう)

 

面接の時はどの先生がどの大学の誰なのか?は教えてもらえず(今思うと科学医学哲学じゃないのは私ぐらいなもんで誰でも知っている有名な方々ばかりだったんだけど)、初めて何がご専門なのか伺いながらお話しできて面白かった。なかなかに、理事の先生を筆頭に全員がぶっ飛んだ人の集まりで、久しぶりに刺激的でした。

 

研究や仕事の内容を聞くと、そんなことがもうこのこの世界で可能なんですね‥ドラえもんも夢じゃないなって話ばかりで。異次元の頭脳を持ちながらも、とても柔軟で、明るく、チャーミングで、パワフルな人々。全員違う国で研究や学業を、しかも奨学金は2年だったけど、全員その後も手を替え品を替え、で色々な助成をもらって結局5年くらいは現地にいた人ばかり。

 

これからまた新しい国の研究所に呼ばれてるんだよ、いつ日本に腰を据えるんだ‥なんて話も多くて。言語習得は筋トレと心得ている人ばかりなので、大変だね〜よりも、えぇイタリア?いいじゃん。ご飯美味しいとこに行けるなんてラッキーじゃん!と能天気なもんです。

 

どうせ大変なことはどこにいても人生ついて回るし、これだけ世界情勢が不安定なので、

行ける時にいろんな世界で経験を積みたいねって。日本ですら、もはや長期生活から戻ると異国感もあるしね。

 

脳科学とロボット工学の人たちと大いに盛り上がり、え〜みんなで科研費取ってプロジェクトしようぜ、共同研究で3カ国でやろうぜとワクワクした話がたくさんできて楽しかった。

最初は一人だけ分野も違うし、場違いかなとドキドキしていたのに。よく笑って、食べて、飲んで。

 

あの、自由すぎる雰囲気はでも、私たちを選抜した理事の先生たちの血を色濃く感じました。人間、体制の中でも自由に生きようと思えば生きれるんだな。天才限定かもしれないけど。

 

割とここ数ヶ月、日本の商習慣でやっていく大変さを感じていたので

まぁ、最悪しんどすぎたらドイツ語圏に、もしくは5カ国目もやむおえないくらいの

軽い気持ちで、ジャパンライフを楽しもうという思いに至りました。

 

それにしても帰国してはや5ヶ月、どんどん、まぁ今までもそうだけども、さらに

考えることが疎かに、鈍くなってきた気がします。

 

ちょっとリフレッシュして、キーボードを打ってばかりじゃなくて、手を動かして

作る、考える、作るのサイクルに戻りたいですね。

 

とりあえず、うん、とりあえず。

 

 

 

 

ポップなジェンダーバイアス

ジェンダーバイアスを日々感じることが多い日本の生活。

 

日本で暮らす人々は、どうやってこの現実と折り合いをつけているのだろうか。

そっと目を閉じている人が多いと思いたいが、おそらく特に不満がない人というのが実は多いのではないかと思っている。

 

日本で暮らしていた当時も、私は自宅にテレビというものがなかった。

当時はYoutubeやサブスクが珍しく、家にテレビがないと言うと、変わった人だとネタにすらされた。でもテレビがなくて何一つ困ったこともなければ、テレビについて人が話してても、興味をそそられたこともなかった。

 

2005年前後、もちろんテレビなど家になかったが、当時はメディア関連の仕事をしていた。テレビ局の楽屋前を歩いていて、知らない人の名前を横目に、誰だろうと思って、実際収録時に、なんだか新しい人なんだと認識し、でもそういう人は知らぬ間にいなくなるので、やっぱりテレビがなくても困らなかった。中のものを作ることに加担してたとしても。ちなみに別にメディアの仕事を志してそうなったわけではなかった。やっていた仕事のいち媒体がメディアだっただけである。もちろんメディア関連の仕事は、8割以上胸糞の悪い人と事象を見ることになる上に、うっかりすると加害者になってしまうので、早々に手を引いた。彼らは狂っていた。

 

そんなわけで、現在一時的にマンスリーマンションに滞在しているが、Wifiがない代わりにテレビが備え付けられている。どんなものがやっているのかと思いつけてみても、基本的に全部同じである。1日を通して、かなり複数ある回線で、ずーっと同じことをやっているようだ。

 

米の話や、副業、物価高、外国人観光客、グルメ。あとは外国語に謎のキャラクター設定を伴う吹き替え(本当にやめた方がいいと思う)

他に話すことがないわけではあるまいが、これを一日中見ている年配の人たちが選挙に行っている。単純明快な構造である、社会は変わらない。

 

テレビがオールドメディアで、ネットが新しいかという以前の問題な気もする。

 

テレビは何も大事なことを発信しておらず、もしくは発信の仕方をセルフチェックする機能がなく、ネットは第一情報が曖昧かつ、リテラシーチェックの抜けた噂話のようなものが垂れ流されている。

 

でもどちらにも共通していることはジェンダーバイアスが余す所なく掛かっていることである。婚活や女性性が売りにされている社会をポジティブに発信し搾取する側もまた売り物として差し出す側も、二項対立のジェンダー論しか存在しないかのような社会観も、全てを超ポップに描き出している。

 

日本のこの環境下だけで生きて、何かに疑問を持ち、行動するのは至難の業かもしれない。

と言うか、疑問を持ち行動したいと思っても、こういうマインドセットな人たちに囲まれた社会で生きていくのは戦闘にも似た気力と精神性が必要そうだ。

 

今、日本に帰ってきて、まだ1ヶ月も経っていないと言うのにちょっと途方に暮れているが
でも、そうじゃない場を生きていけるという希望を捨てずに生きていきたい。

もちろんそうやって生きている人々だってたくさんいる。

 

ただ、どれだけ苦労し、葛藤し、悩んだ海外生活だったとしても

20代、30代と様々な国で生活し学問を、仕事をしてきたこと、それを選択した自分に今初めて感謝している。おそらくあのまま日本の中だけで生きていたら、社会的地位のようなもの、安定した仕事や婚姻生活があったとしても息たえていたような気がする。それだけこの社会は私にとっては閉鎖的で息苦しい。

 

残酷なのは、この閉鎖的な社会を構成している人々、それぞれは優しいということだ。

 

優しく、柔らかく、ゆっくりと愛を囁かれながら首を絞められるような。

 

さて、どうしたものか。

帰国から10日のゆるゆる所感。

昨日は少し、ドイツが、というかウィーンが恋しくなった。

正確にはウィーンに居た、とにかく没頭して生きていたわたしの周りで揺らめいていた優しい人たちと木漏れ日と春と夏の公園にアイスが恋しくなった。すでに美化され始めている。

(実際に美しいと思える日々もちゃんとあったから)

 

元々この辺りの出身だから、東京は一時帰国の時にはなんだか雑踏すら懐かしさがあったし

20代のわたしが必死に生きていた街だという愛着があった。でもなんだか、懐かしいものは段々と姿を消してしまい、コピーペーストのように同じものが溢れた場所で気を抜いたら埋もれそうだなと思う。

 

そういえば、最終面接に行ったのだけれど、これは違うと思った。

相手も思ったと思う。私以上に。

なんていうか希望する人材について明確なことを最後まで教えてくれなかったが、最終面接でうっすらと、前任者(男性)を彷彿とさせる人を探しているという現実感が透けて見えて、

それで、あぁわたしは違うなと思った。お給料も条件(副業、国外研修可)と良かったのだけれど、フィットしない仕事を続けられるほどわたしには忍耐がないし、相手も合わない人を雇うほど抜けてもいない。

 

おそらく、海外の大学院を出て、バリバリドイツで仕事してた感が溢れる履歴書に判断が鈍ったのではないだろうか。逆も然り、わたしも条件で選んでいたみたい。でもいい人たちだった。行けてよかった。

 

そんなわけで、日本再スタート編は、いよいよ自力で道を切り開く編へと突入することに。

 

多分ウィーン時代から温めていたことを少し具体的に形にする、そんなふんわりとした風を装う必死な1年になるような気がしてきた。

 

まだ東京の友達にはほとんど会っていない。

でも図書館で本をたくさん借りて、インターネットのない家と公園を往復し、10日目にして、wifi環境が抜群なずっといても怒られないカフェを発見して、これを書いている。潰れないか心配なのでつい注文しすぎちゃって、これなら家にホームルーター入れた方が多分安い。

 

ちょっと東京から移動しようかなと思う。

新しい私の文脈を嫌がらない人に出会える場所にちょっと移動してみてもいいかもしれない。

 

と言いつつ、昨日はたまたま、イタリア人の同じ界隈の女性とお友達になって

今週一緒にお茶する約束をした。嬉しい。

 

余談なのだけれど(余談しかないのだけれど)、

今滞在している家にはテレビがあって、たまにつけてみるんだけど、

女性たちがお人形みたいにクネクネしていて、画面に映る人のリアクションが現実比の5倍くらいのワザとらしさで、一体何事かと思って、天気予報しか見れない。と思ったら、街中で出会う女性たちも「柔らかく話します」な人に溢れていて、気づいたら私もそれをインストールしたようで、自分に驚く。柔く話す文化は日本独特な気がしてちょっと新しい発見。だからチャッちゃっと話したイタリア人の新しい友達ができて嬉しかったのかな?というか多分私の英語力だと、話し方のニュアンスまでわからないからかな?ドイツ語はわかるんだけどな。いや、ドイツでなんだかクネクネと話す人は稀なので(でもいる、割と強烈なタイプが)目立つだけかもしれない。

 

まぁ、ちょっとした棘は時々出てくるが、とりあえず出してもしまうように用心して生きていこうと思う。誰かを傷つけたくはないので。

 

今まであったものに頭から頑張って潜ってみても、お尻が出ちゃうみたい。

また1から私の今のフォームに合う新しい繭をせっせと拵えたいなと思う。

 

それにしても、おにぎりと漬物が美味しい。

そして毎日晴れている。

 

ドイツでは選挙があったのに、ニュースで眺めるだけで

海外のニュースはとにかく騒がしいから

今日はたこ焼きを食べる。

 

まだ割とちょっと幸せ。

 

どれだけ暗くても、大丈夫。

日本に帰国して数日が経過しました。

とりあえず、先のことがなんとなく見えるまでウィークリーマンションに滞在中。

Wifiなし。

 

今日は最終面接に呼ばれているので、またもや空港に逆戻り。

スタバでwifiを確保してこれを書いています。大袈裟でなくスタバに10年ぶりくらいにやってきたのですが、コーヒーあんまり好みじゃないな。ドーナッツ激甘で食べ切れる自信がない。歯磨きしたい。よく海外のものは甘すぎるなんて言うけれど、日本の食べ物の甘さ指数もなかなかでは。もしくは、8年全然外食していなかったから、舌が変わったのかもしれません。初日にコンビニで買ったものもしょっぱくて食べれなかった。でも綺麗で静か、最高。

 

まぁ、ゆっくり慣れていくと思います。
日本で海外生活並みの自炊生活は多分無理なので、慣れるしかない。

 

1週間以内に帰国して、スマホ契約して、保険に入ったり住民票入れたりしたと思ったら、またフライト。なんだか落ち着きませんが、2月中にはしばらくの方向性が決まると思います。

 

スーツケース一個でウィーンに飛び、またスーツケース一個で帰国しました。
生活用品全般は5月末くらいに船便で日本に到着予定です。日本の引越し業者さんにお願いしたのですが、お願いしてから関税なんてものに気がついて、うっかりDHLとかで送らなくて良かったかもしれません。ただ4ヶ月って長い。しばらく生活に必要なものは買い足していくしかありません。しばらくは出費が多そうです。

 

帰国前も帰国後もお気持ちについての質問が多く。笑。
今もWie gühlst du dich in Japan?と聞かれます。不思議なことに、一時帰国とは気持ちが全く違います。日本の空港に飛行機が到着した時は、「あぁ、もうみんなに簡単に会えなくなるんだ」と瞬間的に急速度でどん底に悲しくなりました。でも到着後はやることが多くて忙しいからか、もう海外に長期で出ることはないのではないかと言う気持ちからか、ソワソワ感がなくなりました。

 

デンマークから帰国した時は、30代はヨーロッパで専門分野の勉強をしたいと言う気持ちを抱えていたし、カナダから帰国した時は、次の移動のことがもう頭にありました。

 

今回は国外への大きな移動はもう念頭にありません。そのフェーズは一旦終わった、スッキリ感があります。

 

やりたかったことも、やるべきことも、それ以上のことも、全部やり切ったという清々しい気持ちです。これはでも、大学で勉強した後に就職までしたことが大きいと思います。学業だけだったら、自分と似たような価値観の人に囲まれたユートピア的な環境を日本で懐かしんだかもしれません。でもドイツで98%ヨーロピアンに囲まれて揉まれて、ヨーロッパ社会における現実を身をもって体験したので、ヨーロッパ信仰には陥りませんでした。

 

あとは今まで積み上げてきたことが繋がって、最終面接まで漕ぎつけたことも大きいです。
どうなるかわかりませんが、もし縁があったらいいなと言う希望を与えてくれる最高のポジションです。ダメでも後悔しないで、楽しんでこようと思います。

 

ただ噂には聞いていましたが、東京は観光客がすごいですね。
以前は考えられないくらい、英語で話しかけられます。(多分見た目の大雑把さが日本人を薄めていて話かけられやすいのかも。笑。)東京駅で出口を聞かれて、工事後の東京駅にはわたしも初めてに近く降り立ったので、わたしも8年ぶりでと答えたら「welcome back!」と言われました。どうもどうも。

 

お店や公共サービスでも海外の方がたくさん働いていて、心の中で(がんばれー)とエールを送りたくなりますね。複雑な日本語で、しかも複雑な階級社会みたいな社会構造で社会人として働いてるなんて尊敬しかない。

 

今の所、のほほんと無職生活をスタートしているから、ストレスはありません。

ドイツ生活での戦闘モードをすっかり脱ぎ捨て、時差ボケしているものの、なんと数年間の重たい不眠症が改善の兆しを見せています。

 

人間の身体というのは正直なものです。

日光浴をして、本を片手にカフェで読書して、贅沢な数日です。

まだほとんど誰にも帰国の連絡をしていないのですが、これも一時帰国と違ってこれからたっぷり時間があるので、ゆるりと人と再会していくつもりです。

 

できれば、世間を賑わせているフジテレビ問題が収束してからがいいな、と最初の友人と会った後にちょっと思いました。ジェンダー感やこういう社会的モラルの基準がわたしはもう日本のそれではないので、こういう話題は日本人の友人知人とは避けたいものです。

 

少し誤解を恐れずにいえば、ウィーンでもドイツでも、スーパーラディカルな芸術関係の友人知人、同僚に囲まれていました。ある種、エコチェンバー状態だったので、背景知識のない人とカジュアルに会話する術をちょっと模索中です。でもエコチェンバー状態は、偽物のユートピアを、特に芸術家を目眩しにするなというのは渦中でも感じていました。だから偶発的に違う価値観の人と、知識を暴力的な方法で使うような傲慢なことをしない人間として、バランス感覚のある人間になりたいというのが目下、唯一のカルチャーショック症状だと思います。

 

たまたまヘアーサロンで読んだGinzaマガジンにエコチェンバーを上手に咀嚼したコラムが載っていたので、日本にいる方はぜひ。美容師さんとも、たとえばトランプについての知っていることにギャップがあって、どんなニュース読んでるんですか?と聞かれましたが、おそらく日本の多くの方がトランプに好意的なのは、日本でもアメリカ同様トランプ式のエコチェンバー的政治キャンペーンが成功したからではないかと思います。よし悪しは、それぞれの判断基準がありますが、自分が反響空間に閉じ込められていないかだけは気をつけたいものです。

 

何があるかわかりませんが、何があってもきっと大丈夫。

 

ドイツでフォーチューンクッキーを引いて、いまだにお財布に入れているものが二つあります。

Die Mitte der Nacht ist auch schon der Anfang eines Neuen Tages.

Sometimes, Traveling to new places can bring great transformation.

 

どれだけ暗くても、もう新しい日々への始まり。暗闇があるから、光を認識できるんですよね。そして旅は素晴らしい変化をもたらしてくれる。

好きな言葉なので、いつも読んでくださっている方にもシェアしたいと思います。

 

 

8年のドイツ語圏生活、一旦完結。

前回の投稿から気がつけば年が明けていました。

もう立春の方が近いですから、世界は一層混沌としていますが、せめて春の日差しはまだ柔らかくありますように。

 

タイトルにある通り、8年、ウィーンとドイツを渡ったドイツ語圏生活を一度完結します。

金曜日に仕事を退職しました。たまたま最後に自分の作品を発表する夜があったので、そこでサクッと。作品でお別れできたのは良かったと思います。

 

退職する意思は夏前に伝えていました。時期を調整したのが秋ごろ。

なんせ、ドイツ人の同僚たちの病欠の多さったらないので(これはドイツあるあるだと思う。新聞で今ドイツ人がどのくらい病欠してるか話題に上がること多々なので)バーンアウト騒動以外で一度も病欠しない、ドイツ人比で黙々と働くタイプの私が居なくなると回らなくなると何度か引き止められて、なかなか調整つかず。

 

でも心の中で、他の部署は回らないまま放置できてるんだから‥ドイツスタンダードで回らないを受け入れればいいのにと密かに思っていました。おっと、本音が‥。だってドイツで生活していたら「担当者しかわからない」はあるあるで。正直、病欠の人のカバーが通常業務に乗っかって、最後には文句も出たってもんです。病気は仕方ないとして、引き継ぎくらいしてくれよ。ドイツ人引き継ぎ文化なさすぎだろーうぉーーって。日本人の私が「担当者しかわからない」って言えないの利用してるんじゃないよーー。ま、その辺ドイツに染まりきれなかった私の責任も多少あります。染まらなくてよかったという気持ちの方が大きいですが。

 

退職時期がやっと秋に決まり、そのタイミングで次のシーズンに3つフリーランスで作品制作、プロダクションの依頼の連絡が外から入ってきていました。そんなわけで、最初はうーんじゃあとりあえずあと1年ドイツでフリーランスでやるか?なんてクリスマス前ごろまでは考えていたんです。

 

でも、なんだかクリスマス休暇でちょっと家に一人になって冷静になった時に。

あっもう無理かも。私、ドイツでこのまま暮らし続けるのとりあえず、今は無理かも。

そんな風に急に思って、連休明けに、家の解約の連絡を入れました。仕事の依頼はお断りしました。また縁があれば。

 

そこからは早かったです。

次の借り手を探したり、帰れる実家はないので日本での家を探したり、そしてとにかく解約、解約、解約と書類手続きと最後のプロダクションと自分の作品制作。退職日の夜はなんだか眠れなかったものの、週末になって、ぐっすり安眠となりました。開放感かもしれません。

 

今日からは急いで梱包作業です。

 

まだ、不思議な気持ちではありますが、どこかでドイツで暮らすことはもうないような気がしています。今は、ドイツでしたいことは全てしたし、とことん戦い傷ついた。そんな気持ちです。

 

学業がウィーンでよかったな、と今は心から思うと同時に、いい時期にいたんだなとも思います。帰国の話を親しい人にすると「今帰るのはいいかもしれない」と残念そうに言われます。

 

私がいた、ウィーンの大学はリベラルでオープンな芸術大学でしたが、今彼らは日々デモで戦っていて随分大変そうです。私が働いていたドイツの劇場も次のシーズンは大幅な文化予算の削減で、かなり頭を悩ましています。この3年、毎年仕事していたドイツ人アーティストは今年一緒に仕事をした時に、ファシズムがやってくるとしきりに恐怖を口にしていました。

 

トランプ政権発足から、アメリカの多くの研究者が職を失うか、表向きのドキュメントを改定して密かに研究を続けるかの岐路に立たされています。

 

今は、なぜナチスが発足したのか、どんな政治上のシステムエラーだったのか肌感で理解できるくらいです。この渦に巻き込まれるかもしれないという恐怖は計り知れない。

 

世界政治の混沌からは国を移動しても逃れることはできませんが、8年前、私が勉強を始めた当時とは世界が一変してしまったんだなと思います。

 

私が仕事していたドイツの街は緑の党が第1党で、半分近くが移民のルーツを持つと言われているモザイクシティで、移民局の人ですらフレンドリーな街でした。それがここで生活し始めて、ここ最近、初めて路上やスーパーで差別的なことを言われたり、職場でたまたま何かの話の延長でAfD支持者のグループと議論になってしまったり。トランプ支持者のねじれ構造みたいなものにかなり似ていて、Afd支持者のグループには一定数の移民第二世代みたいな人がいるようです。20世紀に入って、多くの活動家たちが必死に築いてきた様々なものが今一瞬で崩れ去ろうとしています。それが生活レベルで顕著になってきた。最大権力者が差別を容認すると(むしろ積極的に発信すると)こういう世界になるんだよね。

 

オーストリは元々保守的な国なので、ウィーンの街角で受けるストリートレイシズムには悪い意味で慣れていました。私が約3年前にドイツに移動してきた時は、それから一瞬解放されたような気がしたのですが。

 

デンマークやカナダの生活を入れると10年、海外で生活してきて、私もなんだかちょっとスタミナ切れなのかもしれません。

 

日本に帰れば、今度は移民を受け入れる側から見る世界になることや、それがさらに自分を板挟みに追い込む場面があるだろうことはわかっています。でもずるい私は、一度それでも何も心配せずに深呼吸する時間が必要だと思いました。今の状況で作品を作る体力がありません。

 

ここで辛抱強く、私のダラダラとした悩みを読んでくださった方には「やっと決断したのか」という感じですよね。私もそう思います。人生で移動に関してこんなに悩んだのは初めてでした。でも嫌になるくらい悩んだので、後悔はしないような気がします。

 

8年の付き合いの友人たちと簡単に会えなくなるのだけが、ただ名残惜しいです。

 

でも、決めたことは前向きに。

希望を持って、次に進みたいと思います。

私が日本で頑張って、友人がたちが私を頼りに遊びに、作品作りに訪ねてきてくれる未来があるといいな。母との時間をちゃんと作りたいし、いつもフラフラ放浪している私に愛想つかさずに今も友達でいてくれる日本の友人たちとも時々飲みに行ったり、彼らの子供たちと遊んだり。

 

大きな視点での世界と向き合うのは、なかなかにタフな時代になりましたが

マクロな自分の世界もこれからは大事にして生きていきたいと思います。

 

何よりやり切った自分にお疲れ様と言ってあげたいです。

お疲れ様、少し休んで、また頑張れよ。

いや、幸せになるんだよ、そのために頑張るんだよ、わたし。

 

他人の家で料理したり、服を着たりするわたし。

8月13日水曜日、なんの日でもない2024年、ドイツ。

体重65Kg

 

気がつけば最後に投稿してから半年が過ぎていた。
とても色々なことがあった半年だった。色々起きては過ぎ去るそのスピードを言葉にするまでに半年かかったのかもしれないし、夏季休暇に入って3週間、自分で何かを言葉にする回路が戻ってきたとも言える。

 

思い返すと、10年以上ぶりに、完全に一人で暮らしている。
色々な国を行き来し、移動が多く、また常に同居する誰かのいる生活を長いこと送ってきた。

 

去年の12月から一人暮らしを始めて、今年は一時帰国せずに長い6週間の休みを一人で過ごすことにした。夏休みに入る前にそれぞれ違う友人何人かと旅行の計画をたて始めていたが、具体的な話になる前にキャンセルした。理由は一つではないけれど、一人になってみようと思ったのかもしれない。

 

話は前後するが、7月にわたしが舞台デザインと衣装と、そういゆう全部のビジュアル要素をデザインしたというかコンセプトから制作の最後までわたしの名前の元で作られた作品の初演を迎えた。デザイナーという方法論は学んでいないので、恥ずかしげもなく、アシスタントではなくアーティストとして海外の仕事で初めて名前が世に出て、新聞や演劇誌に批評文が出て、お金をいただいた。

 

もう隠しようもないから、言ってしまえばわたしはあるドイツの国立劇場のドラマ部門の舞台美術衣装、要はビジュアル制作のアーティストアシスタントをしている。ドイツ語圏の舞台デザインや衣装デザインは現代美術家みたいな人が担当するケースも多い。日本で言う職業デザイナーではない分野で、作品ごとに外部からゲストで招かれる。わたしはその人たちと劇場のアトリエなどの橋渡し的調整役で、全部の部署と連携をとる、いわば何でも屋だ。ビジュアルリサーチもするし、手を動かすこともあれば、ひたすら議事録やドキュメントを作成したり図面直したり、リハーサルに参加したり、なんでもする。この仕事は芸術枠の契約書がまかれた公務員採用で月給制だ。ややこしい。

 

その働いている劇場から仕事のポジションとは別で、アーティストとしてデビューのチャンスを頂いた。たまたま気の合う演出部のアシスタントがいて、その子と二人でデビューステージを用意していただいた。

 

批評は自分で言うのもなんだが、すこぶるよかった。演劇誌の専門家の批評文では最初の2ブロック舞台美術のコンセプトについて手放しに良い評価を書いてもらった。舞台美術について最初に詳細まで触れ、コンセプトまで書かれることはそうそうない。たまたま、というかクイア演劇だったから目新しさもあったのかもしれないが、有名な哲学畑の批評家がわざわざ来ていたから、運が良かったのかもしれない。すっかり丸っとコンセプトを解釈して咀嚼してくれた。わたしの仕事におけるコンセプト説明より明快だった。プロは違う。

 

学生の頃は、コンセプトが難しいとよく横槍を入れられたが、ちゃんと機能したみたいで。実は期待していなかったので、棚からぼたもち的な嬉しさがあった。自分の作品を細部までみようとする人がこの世にいてくれた。たとえそれがその人の仕事でも、嬉しかったのかもしれない。

 

それ以上に、観に来た劇場の人たちの反応もすこぶるよかった。評判を聞いて、最後の通し稽古を普段は観にこないような人まで来てくれて、まぁアシスタントで身内だから、身内贔屓はあるけれど、それぞれ心に残るものがあったのなら、それは本当に嬉しい。

 

初日以降、劇場ですれ違う、様々な人から「成功おめでとう」と声をかけられた。どうもわたしは、ドイツのデビューに成功したらしい。ついでに見にきていた別の演出家からお声がかかって、次のオファーもきそうだ。実現するかは別として、デビューにしては上出来だったようだ。

 

初日の夜、劇場に向かいながら、もしかしてわたしは夢を叶えるために今歩いているのかもしれないと思うと少しふわっとした気持ちになった。ウィーンに渡る前に日本の奨学金の面接で「夢を叶えるために役立ててください」と言ってくださった面接官の顔を思い出したし、出発日直前に自宅にあったユーロの札束を袋に詰めて、わたしを赤提灯に飲みにつれて行ってくれた20歳からお世話になっている人の顔を思い出した。ウィーンに行く一年前カナダに飛ぶわたしを空港まで見送りに来てくれた当時の上司と同僚の顔を思い出した。ウィーンの大学でお世話になった教授や先生、友人の顔を思い出した。そして母の顔も。

 

誰も見に来れない。でも、わたしを知らない誰かが作品だけを見にくる。不思議だった。

 

7年での成果は出たみたいだった。だからと言うわけではなく、初演の1ヶ月前に来年のシーズンの半ばで退職したい旨を上に伝えていた。おそらく1月末の初演作品まで2つか3つの作品をアシスタントして、終わるはずだ。

 

住居を日本に移そうかと考えている。
長いこと考えてきて、何度もここにも書いてきたけれど。
なんとなくそろそろな気がしていた。

 

実際に作品を作ってみて、思うこともあった。
わたしがここでドイツの税金からお給料をいただいたり、表現の場をいただいたり‥

そう、場所を借りている。そういう気持ちが永遠と消えない。
実際にドイツの国立劇場で作品をレパートリーとして発表するからには、ドイツ向けの制作がある程度求められる。もちろん日本の劇場芸術をしている人からすれば、金銭的な負担がない状態でデビューできるのだから、かなり恵まれている。ゲストハウスに招かれた感じだ。

 

この場所を借りている、と言うのはポリティカルで教育的な背景に寄りかかっているとも言ええる。日本でクイア演劇を前提条件なしにどの程度、またどのような発表の場があるのかわからない。でも少なくともドイツで出会ったインターナショナルな制作チームに事前に前提条件を説明する必要はないし、クイアなチームを組むことも可能だった。ジェンダーやクイア論について一から説明を求められない制作環境を借りている、その感覚があった。それは観客にも言える。少なくとも先の批評家も含めて、批評文を出す方もある程度その知識がある人を送り込んでくる。

 

違う言い方をすれば、この先も、どんなテーマであれ、作品であれ、わたしはこの西洋スタンダードに寄りかかることができる。ここにいる限り。実際わたしの制作基盤の大きな部分はこの西洋スタンダードに担保されてもいる。なぜなら西洋式の芸術方法論的なものを大学で勉強してるから。

 

今日全部、ここで言語化できない。

でも簡単に言えば、他人の家で、他人の調味料とかお皿を借りて、自分の料理を振る舞っていると言う感じがずっとしている。素材は自分が用意してるし、料理自体はわたしがしているのだから、美味しいねとみんなわたしにコメントしてくれるんだけどね。そんな感じ。

それがモヤモヤし続ける原因だと学生の頃からわかっていた。

 

日本に帰れば解消されるのかはわからない。でも根無草的な生き方の、限界のボーダーライン上に立っていると言うはっきりとした感覚がある。

 

とりえあえず、1月末まで半年弱あるので日本に帰る前提で色々考えたり調べたりするつもりだ。正式な退職届は次のシーズンに入ったら書くことになっている。もちろんドイツに残る可能性もゼロじゃない。上司には、違うポジションでも残りたいなら残って欲しいとも言われている。ありがたい。なんにせよ、可能性がないことなど、ない。

 

なぜ冒頭で体重を書いたかという、ダイエットを始めた。


1週間くらい前の暑い日に身体が重くてしんどくなって息切れした。
ウィーンに来る前は大体52Kg前後だったのが、7年で13Kg増えた。
正確に言うと、卒論と制作の時に6Kgぐらい増えて、ドイツに来てから7Kg増えた。

長いこと不眠に悩まされてもいたので、何かしら薬で食欲が増進された可能性もあるし、単純にスポーツもしない、加齢による代謝の低下もある。と言うか多分それだ。

 

加えて、社会的なプレッシャーから解放されたと言うのもあったと思う。
どんな見た目でもコメントされない。西洋の芸術畑は、知るところドイツ語圏においてはルッキズムについて知識のある人が90%というかほぼ、本当に年代性別問わずほぼなので、ネガティブに容姿についてコメントする人はいない。いや、ほぼいない、とかじゃなくて、いない。わたしの経験上。

 

日本で暮らしていたときは、親にすら、見た目についてコメントされていたのである程度プレッシャーがあったのだとも思う。

 

で、話を戻して、息切れにショックを受けて、体力をつけることと、一度健康的な重さに戻そうという決意のもと、ダイエットを始めることになった。

 

それを言語化して記録してみようと思っている。
と言うのも、ルッキズムについての知識はわたしにもある。なんならフェミニズム論やジェンダー論は大学で好き好んで違う専攻の教授の授業までじゃんじゃんと参加していたので、なんならわたしの専門分野でもある。

 

このセミプロみたいな立ち位置のわたしが、ダイエットに踏み込んだその心情に興味がある。

もしかしたら、半年後に日本に帰ることへの恐怖心からかもしれない。

今の自分の身体はドイツでは恥ずかしくないのに、日本では恥ずかしい容れ物なのだろうか。

 

身体というのは、社会との関係によって、自分の中の是非が変わるのはもちろん
教育された人間でも、それに抗えないものなのだろうか
もしダイエットで結果が出たら、わたしは何を思うのだろうか

 

人の家で料理をするのが嫌だと知っていながら
人の家のSサイズしかないクローゼットの服を着ようとしているのだろうか。

 

考えすぎなのは、わかっている。ただの性分だ。

 

そんなわけで、知り合いも読んでいるここで人生最大の重量を最初に晒してみた。
でも、今のところ恥ずかしくはない。目で見れば、あぁまぁそんなくらいだよねってわかるしね。体重という数字が上がり続けるのはずっと見てきたけど、ダイエットするには至らなかった。でも息切れは別。体力無くなったら、それは大変。

 

とりあえずは、ドイツにおいては見た目の問題以外の理由から始まったダイエット。
どうなるんでしょうか。

 

目標体重とかはないです。とりあえず息切れしなくなるまで。1時間は楽に歩けて、走っても足に負担がかからない重さまで戻ったらいいかな。

 

明日はイミグレーションにVISAの更新に行ってきます。

明日はもう少し涼しいといいな。

全然関係ないのですが、スーパーの入り口で出会った可愛いこ。

顔が絵文字の🥺にそっくりでつい。ごめんよ、勝手に。でもかわいい。