Jane Doe.

ウィーン時代の友人から、ある日お願いがあるんだけど‥とメッセージが届いた。

簡潔に言えば、彼女が経験したある機関の闇について、ペンネームか本名どちらで出版するか悩んでいるから、テキストを読んでほしいという内容だった。

 

私とは全く違う畑の人なので、自分がどう役に立つか。そんな疑問はとりあえず横にして、二つ返事で、うん、送って!とテキストを受け取った。私以外には母親にしか見せていないが、もう出版されることは決まっていて、出版社に名前を公表するか2週間以内に返事をしなければいけないとのこと。

 

読み始めて、とても内容が苦しくて、一度途中で休憩が必要だった。彼女から当時、逐一その話を聞いていたので、新しい内容ではないにしろ、どれだけ深く彼女に傷を残したのかを文章で読むと、私は当時もっと出来たことがあったのではないかと自分の後悔に置き換わってしまった。私はこの文章を読み切るのに一息つけるが、彼女にはその休息はなかった。絶え間ない苦しい時間だったはずだ。

 

彼女が私に文章を託したのは、これを実名で出版した時のキャリアへの影響を危惧していて、それについて相談したいということだった。一晩明けてもう一度一から読み直して、さらに一晩置いて、今日まずはメールで率直な私の意見を書いて、電話で話したいということを伝えた。

 

実名で公表する価値のある、社会的に意味のある内容だった。何か批判が湧こうとも、彼女を支持してサポートしてくれる声の方が多いだろうとも思えた。

 

でも、私は彼女の近しい友人で、彼女が社会的な責任感やキャリアのために二次被害に合う可能性が一ミリでもあり得ることを後押しできないと一番に思った。彼女がどれだけ繊細な人か知っている身として、千件の賛同にたった一つでも意味のない理不尽で心無い反応が加われば、彼女はそれに打ちのめされる可能性があると思ったから。何より、彼女も具体的な実名や特定できるような描写を避けている。言い換えれば、当事者以外は、誰についての、どこの話かは推測すらできないように書かれていた。そういう意味で、公共性の高い文章でもあった。偽名、もしくは、名前を公表しなくても、双方にフェアだと思う。

 

ニュースに触れるたびに、私の中で

人生を左右する勇気ある告発をとんでもない理論と方法で踏み躙る人々がいる世界だという認識が根付いてしまっている。自分では計り知れない、思いもつかない角度から、傷つけようと試みる人はいる。モンスターだ。

 

もちろん、彼女の文章に勇気をもらって、彼女が同じ心根を持つ素晴らしい未来の同僚に出会える可能性があると思う。でも、フィルターが必要なんじゃないかと思った。

 

何よりも、幸せであってほしい。

もう必要のないほどに傷ついたことを、何度も違う形で説明し続ける可能性を孕んでいる。文章が評価されれば、されるほど、それは終わらない。本人に迷いがなければ、モンスターに何を言われようと、そのことに向き合えると思う。でも私に相談してくるくらい、彼女は悩んでいる。何かを恐れているのであれば、無理することなんてない。

 

ペンネームからあなたに辿り着ける何か代替えの連絡フォーマットや出版社に問い合わせ窓口を置いてもらって、誰かがモンスターフィルターになれないものか?というのが私が彼女に言える妥協案だった。さらには誰か一人でも、同じ業界で信頼できる人に意見を求められないか?とも。私では役不足であることははっきりしている。私は彼女が傷つく可能性を排除したいという気持ちが一番強く、客観的な判断が下せない。さらに西洋社会についてはどうしても断片的にしか知り得ない。

 

もう一つは、告発的な文章で評価されると、本来の主軸がブレる可能性がある。

それを望んでいるか、もしくはしばらく受け入れる用意があるか?

 

例えば、ある女性がセクハラ的な被害や問題に切り込んで(彼女の主題は違うものです)多くの人から賛同を得られたとして、本来その人が例えば優秀な専門職に従事する人であっても、フェミニズムの代表的に祭り上げられる可能性がある。本人にその用意があって、どちらも担えるのであれば、それを引き受けて活動することには素晴らしい意味があるけれど、もしそうでなかったら、社会的な責任を意図せず背負うことになる。

 

かなりタフな時間になると思う。

 

人には人の数だけの正義がある。

そこに白黒つけることは出来ない。そのことを知って生きていくしかないと私は思う。

 

別のウィーン時代の友人と、共有の友達の私生活の大変さを危惧した話をしたことがある。

本人にも責任のありそうなことだな、なんて偉そうに当時の私は頭の片隅で思ってしまった。でも友人が「本人に落ち度や責任があろうとも、悲しいものは悲しいんだよ。それはどうしようもないし、それがその人の現実なんだよな」と言っていて、私の中の世界がガラッと変わった。その通りだと思ったから。

 

どれだけ、どんな理由であれ、悲しいという感情は別の何かでは説明できないのだ、本人は。

それが良いところをたくさん知る、大事な人なのであれば、悲しいときが過ぎるまでは、何か他のことを指摘するのではなく、悲しいことを認めて寄り添ってあげたいと思うようになった。

 

私もたくさんの間違いを犯すし、自分に都合の良い正義の中で生きていると思う。

つまりは、反省すべきことがたくさんある、でも悲しいことは、まずは悲しいし、

苦しいことが過ぎ去るまで、反省してそれと向き合えない。でもちゃんと悲しんで苦しいのを認めて、運よくそこを通り過ぎれたら、そのことと向き合い反省したり改善するように心がけている。自分だけは自分を否定しないことは、とても大切だと、ずいぶん大人になってから学んだものだ。

 

24時間、1秒毎に洪水のように、際限なく言葉にさらされる世界に私たちは生きている。

とんでもなく、残酷な世界だと思う。

その世界に対応する強さや技術など、本来は必要ないと思う。

傷ついたり、苦しくなる自分を責める必要などないし、世界中の数えきれない違った種類の正義にレスポンする責任など負わなくていい。

 

みんな幸せに生きてほしい。

 

*タイトルのJane Doeは身元不明や、身元を隠す必要がある女性や子供の本名の代わりに用いられる名前です。

日々の雑記から、師走にお引越し。

そろそろ、このブログの行方も考えたいところ。

おはようございます、仕事が進まないので一旦コーヒーブレーク中に頭のストレッチをしようと。お久しぶりです。師走ですね。

 

私はと言いますと、10月初旬のプロジェクトに翻弄されて、また上司に呼び出されました。

なんで君はいつも、貧乏くじなんだ〜と二人で最終的に笑い話に。いやぁ、大変だった。夏のバーンアウト事件を教訓に、きちんと一番トップに報告しました。このアーティスト要注意リストですって。せめていいもの作ってくれたら報われるんですがね‥(これ以上は口を慎む‥)

 

そのまま10月後半から12月までのプロジェクトは、かつて無いほどの順調ぶりで完走。

アーティストチームによって、こんなに違うんですね。今までのなんだったん。

 

順調な仕事にかまけてて、先のことを考えるのを放棄。とりあえず今の仕事の契約を延長しました。延長でいい?と聞かれただけ有り難い。公務員だからってことでもないのかもしれませんが、辞めたい場合は1年前に申請する必要があるようです。ただ出世的な転職の場合は例外で3ヶ月くらい前でも契約解除できるとか、なんとか。7月くらいに新しい契約書が来ると思いますが、お給料はアップすることだけ聞きました。ちゃっかり。

 

まぁでも、ぼんやりと来年の年末には日本に帰ることになるのかなぁとは思っていますが、それは自分の仕事がひと段落した夏に考えようと思います。ウィーンで夢見ていたことは今も継続中です。

 

さて12月に入ってからは、自分が今度はアーティスト側で参加するプロジェクトがスタートしました。今の仕事の契約書にサインをしたのは、このチャンスがあるからでした。一度は自分が勉強してきたことを、アーティストとして、自分の名前で形にしたかったんです。どうなるかわかりませんが、身を粉にして掴んだせっかくのチャンスなので、後悔のないように、でも楽しめるように精進します。

 

そんなわけで、2年目も着々と仕事しています。

 

プライベートの方もちょっと変化がありまして、ルームメイトの旦那さんの単身赴任終了というおめでたい行事により、私が新居に引っ越すことになりました。

 

人って慣れるんだな‥。時間はかかったものの、無事に家の契約を済ませて昨日鍵をもらいました。今度は一人暮らしです。

ドイツで一人暮らしする日が来るとは思いませんでした。学生が暮らすような狭いワンルームですが、家探しが難しい街なので、トントン進んだ物件は手放さない。念願の家具なし、キッチン付きです。

 

今日は電気の契約、インターネットの契約をしてきました。荷物は来週引越し業者が来ます。手伝ってくれるお友達も出来たのですが、引越し業者なら1時間でパパッと済みそう。色んなものを節約して生きていたウィーン時代に比べたら、お金でちょっと解決する方を選ぶように。大人に戻ったな。笑。

 

それにしてもドイツの契約ごとはスタートは2年縛りがスタンダードなので、それ以外を選ぶと、いやぁ割高ですね。でも、随分前にも書いたように、2年縛りの契約を前にすると、プレッシャーというか‥あと2年か‥辛いなってなります。だから今回はフレックスで全部契約。

これで2年後も同じ街にいたら笑ってしまう。

 

最近は仕事をしながらも、もしかしたら最後の一年かもしれないヨーロッパ生活を楽しもうモードを発動中。年始は1週間イスタンブールに行ってきます!3時間。近い!

 

ちょっと言葉が通じない、THE旅行がしたい。長らく異国情緒漂う旅行をしていなかったので、とても楽しみです。旅行の醍醐味はわからなさにありますよね?私だけかな?

なんかこういう気質だから、いつまで経っても一箇所に留まれないのではないかという気もしますが。少し知らないことを見に行ってリフレッシュしようと思います。

 

年始の休みの代わりに、クリスマスも爆速でお仕事します。(私はクリスチャンじゃないから別の日に休みたいと交渉してみたら、成功しました。言ってみるもんだな)

 

写真はお約束のクリスマスマーケット。

毎週何かしらのクリスマスパーティーを開催している職場ですが、今年はほどほどに参加した結果、一人コロナにかからず元気です。エコだ、なんだと言っていてもクリスマスだけは治外法権みたいに、消費にはしゃいじゃうの可愛いなと横目で眺めています。

 

この日記を書いていて思いました。私の海外での生活にはとうとう新鮮味がなくなってしまったようです。家探しや契約は1年前なら大ごとで、事細かに書き出していた気がします。今は2週間ぐらい前に、あっ引越し業者探そう‥そろそろ電気‥インターネット‥と日本でするのと変わりません。うん、リフレッシュが必要だ。

 

皆様も良いホリデーシーズンにしてください。

6年ぶりに水中散策。

6年ぶりに日本に一時帰国してきました。

もうドイツに戻って、フルスロットルで仕事しています。

 

考えてみたら、今までは1年で帰国して数ヶ月から数年過ごしてまた別の国へ移動していたので、帰る場所を外国に残して日本に出かけていくのは初めての感覚でした。

 

すごく不思議な体験でした。

自分がこの6年間でどれだけ価値観や見る世界が変わったのかを初めて自分で理解したというか。今の自分の生活で当たり前のことが、日本にはなくて、この先どうしようかなと実はちょっと途方に暮れてもいます。

 

私が今、ここで仕事にしていることを持ち帰って延長して続けようと思うと、

自分が日本では先駆者にならないと道はなさそうだし

しばらくは海外に活動できる何かしら、綱を繋いでおく必要があるんだなということ。

 

この10年間で実は日本には合計しても3年ちょっとしかいなかったこと。

そうやってゆっくり、自分の根っこが変わってしまったこと。

 

でも、それを日本では話す相手も、見せることもできなくて、今までと変わってませんよ〜って振る舞ってしまう自分がいます。帰りの飛行機の中で、水の中にいるみたいだと思いました。目を開けて周りを眺めることはできるけど、口を開けて話したり深く深呼吸したら死んじゃう。耳も深い静寂の中で何かを聞こうとするけれど、聞こえるのは水圧で圧縮された低い音だけ。

 

だからと言って、今の生活を続けたいかというと、限界も感じています。

多分まだやったらできるとは思うけれど

今のキャリアみたいなものの先には、フリーランスや永住権的なものに手を伸ばす必要があります。今暮らしている街は、仕事で一時的に滞在しているだけで、もしこの先10年とか暮らすなら、どこに住むのかもちゃんと考えないといけません。でも今の仕事を続けると移動が多すぎて、せめて家族がいれば、そこを拠り所にできるけれど、そいういうものがない私は、本当に一過性の人間関係を、作っては壊すを繰り返すことになりそうです。

 

本音をいうと

もう、ちょっと疲れたというか。

もっといいところ、もっといい環境、もっといい仕事のパートナーを探して、私はいつまで放浪を続けるんだろうか。

 

でも、日本にぽいっと帰れないこと、もしくは帰るなら今までのことが一度また振り出しに戻ることを今回理解したので、ね。

 

12月にまた引っ越す必要がありそうなんです。

10月までに今のポジションで仕事の契約を更新したいか返事をしないといけないんです。

 

自分がどこで何をしたいのか、この数年ずっと考えているけれど

何を軸に人生を振ったらいいのかわかりません。

 

ただ、日本の友人たちは、私がどこで何をしていようが良くも悪くも全然興味がなさそうで、そういうのが故郷なんだなと思いました。外国にいると、最初に目的や理由がないと留まることができないけれど、故郷というのは、私が先にあるんだよね。

 

どれだけ準備しても、日本に完全帰国したら、ここでの全てが恋しくなると思います。

ただ、もうほんとーーーーーに何か揺るがない拠点を作りたい。

 

遊牧生活の限界値、だと思います。

そして、ちょっと踏ん張って、もうちょっと頑張る、を繰り返す自分が自分で憎いです。

何より、これを作品で消化しちゃおうとするからいけないんだと。

人生って頑張るためのものじゃないじゃない、幸せに生きないと。苦笑。

 

両親に泣かれたのが、結構効いてます。

人生って終わりに向かうほど、なんだか切ないものなんでしょうか。

職場復帰。体育会系ではもうやっていけないと学んだドイツ就職1年目。

もう秋かな?というドイツからこんにちは、Kikiです。

 

前回のバーンアウト療養後、担当医もびっくり、ちゃっかり復帰しました。
復帰後1ヶ月通常勤務を経て、6週間の夏休みに突入です。

 

診断が出てからさらに急下降して、起き上がれない…みたいな日々に突入した時には、いやぁこれは帰国だろうか?と思いました。

ただ帰国したほうが状況悪いけどどうよ?今は病欠でも6週間はお給料全額出て、それ以降も契約切れるまで60%くらいもらいながら療養できるし…いやぁでも長引いたら?わたしが療養してる間、新しい人も雇えないだろうし、同僚に火の粉が…そもそも今より悪くなったらどうしよう…最初はそんなことを考えながら寝込む日々。むしろそんなこと考えてて、より寝込む。

 

そのうちにお医者さんの「とにかく何も考えるな」を鵜呑みにしたというか

仕事の連絡が一切入らなくなったら、ふと仕事のことを忘れられる時間が増えてきて
そしたら、お医者さんと少しずつ、なんでこうなったんだろう?っていうことを冷静に俯瞰できるようになっていました。

 

お医者さんは一貫して、あなたは悪くない。
あなたは一人じゃない、私があなたの家族だ。
あなたは一人で海外で働くほど勇気のある人だ、信じて。そう繰り返してくれました。

 

最初は心配した同僚からのメッセージを開いては号泣していましたが

おそるおそる返事が出来るようになり
そして全然知らない人と日本語で話したいと思ったときに良い機会も見つけました。

www.helpdesk24.net相変わらず、日本人の友達がこっちに居なくて。
でもドイツ人相手に、ドイツ社会厳しーっスって私も言いづらい…。そんなときに見つけたのがここで、ツイッターをフォローしていると相談用のリンクと時間をお知らせしてくれます。話を聞いてちょっと雑談してくれるという感じなので医療とは別ですが、まったく知らない人だから素直に言えることもあるなぁと思いました。なんかアドバイスが欲しいとかじゃないくらい弱ってる時に沁みた。

 

ウィーン時代の恩師にも電話しました。
電話口で泣く私に「あれあれまぁ…」と優しく話をしてくれて、いつでもウィーンに帰ってくればいいじゃないか、こっちで出来ることを一緒に探そうとまで言ってくれました。

 

ものすごく落ち込んだけれど、周りの温かさに触れるたびに、心の底ではまた元気に仕事がしたかった。気持ちが少し上向いてきたときにえいっと戻りたいと先生に相談しました。

最初はまだ不安定だからと反対されましたが、戻ってダメなら潔く母国に帰るつもりですという話をしました。このまま悩んでまた寝込むようなことになったら、帰国すら危うい。最終的には職場復帰の条件として上司とちゃんと話すという約束をしました。

 

本当に親身な担当医で、復帰翌日にまた診察にくるよう言われました。本当に無理してないか確認したいと。ついでに血液検査等々の予定も組んでくれて、とりあえず身体自体は健康だという後押しもしてくれました。

 

約束を守り、ちゃんとアポイントを取りました。

上司と話し、その上とまた話し、最終的にはトップに呼び出されて話す。
話しているうちに、なんかもう過ぎ去ったことだし、同じことが起こらないように自分なりにコントロールすることが大事だったんだなと思いました。そもそも誰かが犠牲にならなければならない状況でしか回らないプロジェクトそのものに問題があるから、すぐ相談に来てと言われました。なんて言うか、一時の力技で何とか成し遂げてこそ!みたいな体育会系なところで育ったので、これは目から鱗というか…すごく気が楽に。

 

いつでも直でトップに話にきていいよ券を発券されて、復帰後1ヶ月、徐々に元気に。

 

話がスムーズだったのには裏話もありました。というのも復帰した時に上層部が揃いもそろって、私の一言目の前に、前回のプロジェクトの担当アーティストを「あのビッ〇」呼ばわりしていて、びっくり。もう二度と呼ばないから安心しろとすごい剣幕でした。

 

後から聞いた話では、私の状況を見ていた他部署のチーフ陣がプロジェクト進行中にトップにちょくちょく耳打ちしてたらしい。「なんなんだあいつ、Kiki働かせすぎだろう」と。幸か不幸か一大プロジェクトだったので、目撃者が多かったようです。笑。

 

進行中に助けを求めれば良かったみたい。です。

 

とにかく労働時間を守る、自分を犠牲にしない、はっきり言う。
復帰直後は、8時間で帰っていいんだろうか…手抜きにならないか…と心配していましたが、今、新しいプロジェクトで組んでいる相方に「あなたと仕事するとマジでラク!マ・ジ・デ!楽すぎる、ありがとう」と手を握られてぶんぶんされたので、今までがやりすぎだったのかも知れません。

彼女は彼女でそれまでの相棒のお世話をしては自分の仕事が山積みになるという負の連鎖だったらしい。それはそれはご苦労様ですとお互い労いました。

 

自分ではこの程度でいいんだろうか…と心配になってしまいますが、

いやいや、これでいいんだ!サボってるわけじゃないし!はい、退勤!が上手になってきました。好きを仕事にするとみさかえ無くなりますが、ロボットじゃないから。

 

そして、自分なりに、それは今は手に負えないと言えるようになりました。

正確には出来るんだけど、残業になる場合はそれを手に負えないと言っていいと学んだので、恐る恐る口に出してみる…。

やらないとは言っていない、そして間に合わないとも言っていない。
急ぎじゃないなら、明日やる。あとは休みの日の連絡は緊急じゃなければ返事は月曜日になります、とも最初に言いました。偉いぞ!

一年たって、優先、緊急度合いが判断できるようになったのも大きいです。

 

もう一つに、自己犠牲を払うくらい一生懸命仕事をしていると報われるんじゃないかという自己暗示もあったと思います。自分に自信が無いので、頑張りで認められてきたと思い込んでいました。ですが今の職場で、仕事の質はいいのだからほどほどにね…と言われて、ちょっと目が覚めました。仕事の質で評価されてるんだった…と。

 

ネイティブより劣るから、若くないから…とそういう不安をがむしゃらに働くことでカバーしようとしていたのかもしれません。でもそんなこと、誰も気にしてなかった。

むしろ仕事できるのに、そんな追い込まなくても…と思われていたことを今回知れて良かったのかもしれません。

 

とりあえずは、他の人みたいに、ぐいぐいは出来ない。私には私に合う方法でアプローチしようと思い、最初に線を引いてみるを実践中です。今回のプロジェクトのアーティストは話せばわかってくれるので、なんだかんだ上手くやっています。

 

そんなこんなで、夏休みです。6週間。

すごい、この先6週間ぶっ続けの夏休みのある仕事に就くことあるだろうか。笑。

 

6年ぶりに一時帰国します。
荷造りがてら、日本のお財布をひっくり返したらさび付いた年代物みたいな350円とPASMOが出てきました。まだ使えるかな…?

 

荷造り始めたら、洋服とお土産以外持ち物が無くて、スーツケースがすっからかんです。日本で美味しいものと本を、とにかく本を沢山詰めて帰ってこようと思います。

 

久しぶりに友達にも会うのでとても楽しみ。薬の副作用ですっかり小太りになった私が日本社会に戻るのが怖いものの…まぁすぐに痩せるわけでもないし、今のところこれで健康なので。というか自分の見た目が気になりはじめて「あぁ…日本に帰るのね」という気がしてきたのも、なんだかな…とは思いますが。

 

あまり色々考えずに、のんびり過ごそうと思います。

暑さと時差ボケに負けませんように…。

最近見たほっこりシーン。信頼関係ですね。

 

バーンアウトして病気療養中。

とんでもない忙殺により、その言葉通り自己犠牲を払ってしまったようで

プロジェクトの幕が上がったのを見届けて、医者に病気休暇を言い渡されました。

 

たぶん4月くらいから、徐々に始まっていて、そのまま
今シーズンで一番大きいプロジェクトに突入。担当アーティストが超エゴイスト。結果、仕事をやり遂げる2週間くらい前から感情を置き去りにした涙が流れるようになりました。悲しいとか辛いとかの前に涙が、それも嗚咽するように出てきてそれはもう見苦しいやら恥ずかしいやらで、急に泣く自分に自分が相当参っていました。人間ってこんな簡単に痩せるんだなと後半ははけるボトムが無くなってこれもまた、困りました。

 

とにかく幕が上がったので、この意味不明の号泣癖を何とかしたいと思い医者に行ったところ、「今すぐドクターストップが出たとメールだけ書いて、仕事用スマホの電源を切って直帰すること。何も考えてはいけない」と言い渡されました。過度のストレスと労働で脳がバグっちゃったみたいです。

 

家に追い返された日にちょうどルームメイトがベルリンから帰ってきていて、彼女にも6週間は問題なく休めるから、医者の指示に従おうと促されました。こうなる気がしたとも言われました。

 

正直、日本で働いていた時も労働時間があってないような業界に居たし、ウィーンでの大学生活も日々制作と課題に追われて稼働時間は長かった。それなのに、今回はなんでどうした?と自分が一番驚いています。

 

でも家で静かに一人で過ごすようになって、時間が出来て、少し活動力が戻ってきて、ある本を読みました。

k-hirano.com人とかかわる時に「その人用の自分」を分人と呼び、私たちは色々な人との関係の数だけ分人を持ってて、つまり私はその複数の分人の集合体であるという話を平野さんはされています。本当の自分はひとつじゃない。そういう話。

 

この本を読んで、私はドイツで仕事をする時に求められることに答えようとする分人Kikiが好きになれないのだと思いました。病院の先生には、ドイツでは小指を差し出せば、握った手ごと無理やり引き寄せて全部寄こせ!というような要求を仕事でされることがある。そういう時は小指と薬指くらいは渡してあげてもいいけれど、それ以外はダメ、無理、嫌だとはっきり言わなければいけないということわざがあると言っていました。そしてそれは相手が納得して引き下がるまでなども言わなければいけないと。

 

私も自己主張がはっきり出来るタイプだと思っていたのですが、エゴの塊のぶつかり合いみたいなアートの現場では、私の主張は弱弱しくて誰にも届かないみたいです。それでも自分の中の戦闘モードのリミットというのがあって、「もっと強く、はっきりと、何度でも拒絶せよ、戦え」という要求に答えた分人Kikiが私は受け入れられません。

 

ルームメイトにも周りの仕事をする仲間にも、どれだけ強く意見を言おうが、こっちの人は気にしない。自分を守ることが一番大事だと言われ続けています。あなたのような優しい人は使われるだけだ、それではここでは生きていけないと。

 

そうなんだと思います。

でも、ぎゃあぎゃあ言う自分が好きにはなれません。もちろん冷静に丁寧に自分のテリトリーを守る手段はあると思います。ただ、そもそもそういう気質ではないので…好きではない自分を他人にさらけ出すのは苦痛でしかありません。言葉の壁もあると思います。もっと上手な言い回しが出来れば、色々なことをスマートに回避できるのだと思います。でも、私にも限界というのがあって、この先どれだけドイツ語を勉強したところでネイティブのさらに語彙力の高い人を言い負かせるようにはならないでしょうし、何より、そこまでしてドイツで何がしたいのか?あと何年?そんな言い訳が頭を駆け巡ります。

 

今もまだ考えがまとまらなくて、どうしたいのかわかりません。

 

 

それでもこうやって文章を書いて整理しようと思えるところまで回復してきたので、かなり初期に医者に掛かって良かったなとは思います。

 

ドイツでは病気休暇の届はニュートラルで、どんな病気で休むのかを説明する義務はありません。ですが、私の忙殺具合を多くの人が目撃していたので、自然とバーンアウト的な何かだとみんなが悟っているようで、そんな感じのメッセージがちょこちょこ届いています。しばらくプライベートのスマホもミュートにしていたのですが、今日やっと返事を返せるところまできました。

 

人に恵まれていて、なんとかやっています。

 

職場の人に冗談で「世界中のアーティストがKikiだったらいいのにね。勤勉で礼儀正しく自立して仕事するんだから」と言われましたが、私もエゴ度100000パーセントのアーティストに問いたい、そんなモラルとか社会問題取り扱うなら、自分のモラル感先に見直しておくれよ…と。ここまで「ドイツは」と書いてきたけれど、世界中どこでも、アーティスト相手の仕事だと抱える葛藤だというのはわかっています。

 

ただ、その度に壊れるわけにはいかないので。

なんていうか、考えないと、ですね。

 

病院の先生に診断の最後に言われた、でも人の気質というのは変えられないのよ。別の仕事をすることも考えてねという言葉が今日は頭から離れなさそうです。

ドイツのストライキ。

ここ数か月繰り広げられていたドイツでのストライキ。ドイツ鉄道や空港の運行が止まったり、病院や郵便局もストを。オーストリアに住んでいた5年間では直面しなかったので、こうも頻繁にと驚いていました。

 

今まではニュースで、いやぁ、困っちゃうねぐらいに眺めていたのですが、
3月のストライキがある作品の初演と重なり、前日の夜にオーガナイズチームから電話が…

 

「あぁ…Kiki…規則で聞いたらいけないんだけどさ…あぁ…金曜日のプレミアのスタッフの一人がさぁ…あぁ…」

と、歯切れの悪すぎる導入にピンときたわたし。

「あぁ、ストライキに参加するんですか?」

「あぁ…いやぁ、もちろん彼にも聞けないんだけどさ…ただもしそうなら、幕上げられないんだよね…いやぁ…君の仕事じゃないっていうか…でも君は秋にこのプロダクションの制作チームだったし、全部把握してるじゃない…それで…あのぉ…」

 

めちゃくちゃ困ってるじゃん、と苦笑いが漏れてしまいました。

「あぁ、いいですよ。私はストライキには参加する予定じゃなかったし。」

「ほんとに!本来君の仕事じゃないから、もちろん別で支払うからさ…あぁ良かった…全部キャンセルしないといけないとこだったよ…」

「私もあなたも当事者なのにね…お互い苦労しますね…」と電話を切りました。

結局全員出勤したから、大丈夫だ!と翌朝また電話がありました。新作の制作にかかる労力と費用と時間、そして人数を知っている内部の人が、ストライキに参加するのはかなり勇気がいる行為でもあります。すでに技術部がストには参加しないと表明していたのでなおさら。

 

ストライキに参加するかどうかを聞いてはいけないというのは、初耳だったし、パフォーマンスをする人たちの契約書にはストに参加できないと明記されているというのも知りませんでした。でも主要部門の人がストに参加すれば結局、公演も開催もできないので、表に出る人だけがストライキできないというのはちょっとどうかな…とも思いますが、代わりがいないという理屈なんだと思います。

 


そしてどうやら、交渉が合意に達したようです。しばらく2年は同じ理由でのストライキはなさそうです。私も電車が止まれば、徒歩1時間かけて移動し、ストに参加する人がいればそれを埋めて。めちゃくちゃ振り回されました。

 

頻繁にストが繰り広げられる中、日本ではやらないのか?と聞かれ…

うーん…よく知らないなというのが本音でした。でも未だかつて、ストライキでJR止まりますって直面したことないし、たぶんそうそうないんでしょうね。

 

正直、当事者の私も振り回されるので、公務員のストライキがどれだけ影響が大きいか、もとい市民からしたら、どれだけ迷惑被るものか理解できます。ただ、こうやって徹底して権利を主張する文化でフェミニズムや多様化を勝ち取ってきたのだと思うと考えさせられるものがあります。

 

なんか給料がちょっとだけ上がるらしいのですが、もうドイツの給料明細と契約が複雑すぎて、私にはよくわかりません。来年の確定申告は税理士さんに頼むことにします。自動で毎月税金払ってるけど、確定申告すると2000-3000€戻ってくると周りに言われて、来年は重い腰を上げようかと…もしまだドイツで働いていたらですが。

 

ドイツの社会システムについては、いまだによくわかりません。
ただ、契約、書類社会であることは痛感していて、そしてそれはただの紙ではなくて、ちゃんと効力があるのだということはうっすら理解してきました。私も周りから、契約書の労働時間についてよく聞かれては、「わぁkIKI、それじゃあ働きすぎだよ。契約書の規定以上働かなくても誰にも何も言われないよ。君の権利なんだから」と切々と語られます。

 

好きなことを仕事にしているので、タフに取り組めるし、やりたいという気持ちと

私が自分の権利に基づいて主張し働くことは、すなわち同じ契約で働く同僚たちの権利を守ることでもあるという狭間でいつも仕事をしています。

 

ドイツが最高でもないのですが、ドイツで働き始めて8ヶ月、かなり日本と仕組みが違うようだということがわかってきた今日この頃です。

まぁでも暖かい季節で良かった。春の散歩を今の制作チームで。

 

あれから1年。

今週はベルリンに出張中の同僚の代わりに、担当外のプロジェクトを進めています。

アーティストはウクライナから。今もウクライナ在住で、電車でドイツまでプロジェクトの為に往復する計画です。

 

ドイツはよくも悪くも、といいますか芸術分野の予算が他の国に比べて潤沢です。
なんといいますか、私費ではなく公費で賄われているので、どかんとアメリカのようなラグジュアリーなプロジェクトはありませんが、衛生状況が良いといった感じに資金があります。私費ではないので、鶴の一声で予算が変動することもなければ、逆にゴマをすったところでないものはない、そんな感じです。

 

私が働いている現在の組織では、毎年助成金で作家を一人ドイツに招聘できます。今年はウクライナ出身の作家、来年はイラン出身の作家に決まっています。明らかに社会問題的な背景からの選出ですが、胸をはってそれでいいという判断です。助成金なるものが届かないような危機的状況下で活動を続けるアーティストを支援する余力があるならそうすべきだからです。その出所が公費ならなおさら。

 

さて、そんなわけで、昨日、今日と一日中ウクライナチームとプロジェクトの準備をしていました。ランチに社食に行った時のこと、他の部門のスタッフが私を見つけて同席になりました。一人はカザフスタン出身で、ロシア語が母国語。そしてさらにロシア出身の同僚も。

 

ウクライナからのアーティストと三人がロシア語で話し始めましたが、単刀直入にロシア人の同僚に「ロシアを支援しているなら、一緒のテーブルには座れない」と言いました。ピリッと凍り付きましたが、同僚も「私はかなり早くにアメリカへ行って学業をして、いまドイツにいる。こんなに恥ずかしいことはないと思うほど今の状況が悲しい」と言いました。それでも彼女の家族はロシアで暮らしているので表立って何かすることは出来ないとも言いました。

 

そこからは、私を交えて英語でたわいもない話をしました。
ランチの後で、次の会議に向かう道すがら、彼女に「あんなことを聞いて申し訳ない。でも友達が沢山亡くなっていて、今も第一線に親友がいる。どうしても何も聞かないではいられない」と言いました。家族にはこの状況でドイツと行き来するなんて、と批判されたが、他でもない戦場にいる親友に背中を押されて契約書にサインしたと言っていました。私は、「彼女はもうすでにこの1年、ロシア人であることでそういう質問に耐えてきていると思うし、それは本当に気の毒で、できればナショナリティではない所で付き合ってあげて欲しいと思う。でも戦争があなたの日常になってしまった以上、あなたに口を閉ざせとは誰も言えない。聞きたいことがあれば聞くしかないし、話したくないと相手が思えばそう答えると思う」と答えました。

 

このプロジェクトはもちろん、現在の状況を扱ったものです。

夕方彼女と別れて一人でリサーチに行った先でも、プロジェクトの概要を説明する必要があって説明したら、その担当者の知人のウクライナ人の話になりました。戦争になった2週間後に子供を連れてウクライナに帰り、最前線にいるんだと軍服を着た女性の写真を見せてくれました。今も必要なものを調達しに、ときどきドイツの彼のところに来るらしく、彼もウクライナや、今はトルコに支援物資を寄付する手伝いを仕事の傍らしていました。

 

アトリエから電車に揺られて50分、ぼんやりと外を眺めながら、やっぱり身近なことなんだな。現実なんだなという思いが反芻しました。それと同時に、言いようのない恐怖を感じました。私も戦争の中にいるのだと。

 

去年の秋からこの作家がプロジェクトの為に書いてる作品を第一項からずっと読んでいます。時々ものすごく生々しくなったり、急に抽象的になったりと、彼女自身の身体の移動がなにかそういうものを呼び起こしているのではないかと感じています。ウクライナの自宅で書くのと、ベルリンで書くのでは、吐き出す言葉が同じなわけがないのでしょう。書きたくて書いているのではなく、書かなければならないという哀しみが溢れています。

かなり政治的なことを扱わざる負えなくなったことを、本人たちが一番苦しんでいます。こんなことがなければ、以前のように自分の作家性に合った作品を今も書いて作っていたはずですから。

 

私は来週には自分の担当のプロジェクトが始まるので、彼女たちとは今週いっぱいですが、せめてここでは安心して仕事に集中できるといいなと思います。

 

私が落ち込んでも、なにも、なにも。