カウントダウンしよう。

吐く息が白く認識できる23時、この時間に帰宅するのが当たり前だった冬セメスターもあと少し。例のごとくエキシビジョンを控えたこの時期に急に降りかかるチームワークに毎年鬱々としていた。のだけれど、今年はどういうわけか、ソロプレーを黙認されて黙々と自分の世界を生きています。

 

3年目。

それが日々小さく自分の日常に屈折して表象されている感じがあります。

なんだか変な表現ですが、簡単に言えば私と言う人間の周りにスペースがあることに周りが慣れてくれ、私もなんだか開き直ったかのごとく、それをありがたく頂戴しているわけです。

最初の2年間で一所懸命もとい、言葉の問題で否応無しに常に「グループ」に振り回されること度々。振り回された、と言うと語弊がありますが。日常の上でのグループ生活には120%感謝しているので。でも制作面で言えば相当窮屈でした。

 

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たくさん勉強して、たくさん働いて。

母が日本に帰ってしまった。

 

6日間まるまると二人で過ごしたので、そりゃあ母の行きたいところへの案内業務は中々忍耐のいるもので、時々(まぁまぁ、うんと‥割と)イライラっともした。それなのに、空港へ見送りに行って、出発ゲートをくぐった母を見て不思議と涙が出てきて驚いた。母は明るい顔で、また来るね〜と手を振っていたのに。

 

ホルモンバランスでも悪いのだろうか、ということにしたいけれど

なんだか無性に寂しくなってしまった。

 

母はまるで小さな少女のようにあたりをキョロキョロし、指をさしてあれ!あれ!と忙しそうだった。誰かに話しかけられても、話しかけられていることすら理解していない様子でガン無視をして私を驚かせたり、常に私の一歩後ろを歩く彼女は想像以上に年をとったなぁと思った。最終日にたまらなくなって、隣を歩いて欲しいとお願いした。

 

それなのに、私を「これが美味しそうだから」と理由をつけては普段できないであろう外食に連れ出してたくさんご馳走してくれた。お金を置いていくという母を説き伏せるのに3日かかり、持ってきたスーツケースのうち大きい1つは全て私へのお土産だった。母は昔から私の好みを理解できない人で、いつも自分が最高に美味しいと思ったものを私へ渡してくるので、そのスーツケースの大半は私の好物などではないのだけれど、すごく嬉しかった。それと同時に、次来る時までにはちゃんと経済的に余裕を持っていたいと心の底から思った。あと何年働けるのか、ボーナスもでない仕事をしている母からご馳走になるような年齢ではないのに。そんな気持ちが渦巻いて、でも現実には大学の合間にアルバイトをしている私は、本当に自分勝手な人生を歩んでいて、とことん頭が悪いんじゃないかと落ち込んで昨日は朝まで眠れなかった。

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午前10時のProsecco。

メリークリスマス。ウィーンは快晴のクリスマスです。

今週から雨が降って少し冷え込んできたウィーン。それでも去年より暖かいね、とよく話題に出ます。温暖化でしょうか‥。

 

さてそんな私は、初めてクリスマスを自宅でのんびりと迎えています。

毎年一緒にお祝いしている友達が、2年実家に帰っていないのでいよいよ帰郷を両親から迫られた、というのが理由なのですが‥クリスマスに思い入れのない私としては全く問題なし!というわけで当日はのんびり一人で読書、なのですがクリスマスウィークは相変わらず今年も開催されていました。プレイバック!

 

クリスマスを目前に、年内にアトリエで作業できる日も限られてきて、せっせと毎日アトリエに通いつめていました。どう逆立ちしても1月のプレゼンに間に合いそうもないのですが、とにかく今日も明日も、バイトがない日は深夜までアトリエ。

 

そんな毎日ですが、先週の日曜日は久しぶりに1日遊んできました。

大人になって遊ぶってなんか違和感のある言葉ですが、そんな日だった。

 

朝9時半。誕生日の友人宅で朝食バースデー会に行ってきました。

理由は不明なのですが、誕生日の朝に朝食で祝うのが私のいるコミュニティでは主流でして。誕生日の本人に招待されて、朝ごはんをご馳走になるのです。プレゼントを片手に。本日のメニューはフレンチトーストでした。

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今しか耕せない。

ウィーンは深夜1時。

ついさっき帰宅しシャワーを浴びて、ジンジャーレモンティーをお供にここを開きました。今日はアトリエで少し早いクリスマス会をみんなで行いました。パーティーと言うよりは会が合う、そんな伝統的な方式を毎年あえてとっています。

 

料理をみんなで持ち寄り、調理して、テーブルもセットして、あるものでクリスマスツリーを作ります。時間になったら、みんなでツリーの前に集まって、一人ずつ朗読をします。ただ一人ずつ何の本からとか、何のテキストかとか、はたまた何語かも質問することなく淡々と順番が回ります。そして用意した食事を楽しんで、デザートの前に、ツリーの下からクリスマスプレゼントを。一人ずつ開けます。Wichtelnと呼ばれるシークレットサンタからの贈り物を楽しんであっという間に深夜になります。

 

私が用意したプレゼントも爆笑とともに喜んでもらい。

私も嬉しいものをもらいました。

 

ワインを片手に仲のいい友達が「将来のために」アート系の助成やプライズに応募の準備をしていると言う話をし始めました。彼女は韓国人で、韓国愛の強い人で、卒業後は韓国に帰ることを決めています。ただ私たちの今勉強している分野はファインアートとは厳密には呼べず、かといってこの数年ファインアートの賞を掻っ攫っている分野でもあります。そういう意味で、ヨーロッパ圏ではボーダレスな分野として認識されてもいます。ただ韓国では、この分野、同じクオリティで勉強できる場所もなければ発表できる土壌がありません。彼女はその現実に対して周りのファインアートの友人たちから「将来のために」ファインアートのプライズや助成金への応募を強く勧められているというのです。要は、すでに欧米圏ではその境界線はもはや消失しつつあるけれど、韓国では棲み分けられていて、持ち帰るのが難しい分野より、韓国社会に根ざしたファインアートの分野でまずは評価を目指すべきだ、ということです。本人はファインアートに嫌気がさしてこの分野にやってきたのに、そこに戻ることに抵抗がある、と言う話でした。簡単に要約すると、韓国式に自分を合わせなければ韓国社会では評価されないから、そこに戻れ、という話です。

 

彼女は私と同じ年齢です。

彼女が危惧することは自分のことのように理解できます。日本に置き換えても限りなく近い状況です。ただ日本の場合は輸入という形で、かなり小さな規模になりますがゼロではありません。それでも欧米圏やその近隣に比べたら「無い」とも言えます。オリジナルが無いに等しい。

 

つまりここで得たことを試す場所が自分の生まれ育った徒歩圏内にあるヨーロッパ出身者。それに対して自国に帰るということを想定したら、そういう道がなくなる私たち。彼女はそのことに不安を募らせているという、その「将来」の話でした。

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民主主義な大学生活。

絶賛風邪をこじらせてポケットティッシュ(バリ硬)が手放せません。おはようございます、kikiです。

 

このサディスティックな紙ナプキンのようなもの(というか紙ナプキン)でひたすら鼻を擤むので、鼻の下の皮が向けております。赤い鼻をした私を見て「oh,arm kiki~」とみんなに笑われてます。

 

ちなみに、日本では人前で鼻をフンガーと擤むことはあまりよろしくありませんが、こちらでは鼻をズルズル言わせて啜る方がマナー違反との事です。すっかりなんの恥ずかしげもなくフンガーとしているのですが、日本でもうっかりやってしまいそうで今から心配です。

 

まぁ、マスクもせずに薬も飲まない集団生活の中で誰か一人が風邪を引けば、すっかりうつるってもんです。私も誰かにうつしてきっと回復するのでしょう(おいっ)。笑

 

今までで一番取っているコマ数が少ないのに、週末もアトリエに缶詰なのがどうしてなのか誰か教えて欲しい…。と思っていたのですが、夏頃からスタートしたアルバイトを平日の夜にしているからです。ドイツ語のクラスをお休みにしたので楽になるかと思いきや、その倍以上の時間をバイトに費やしているので、簡単な算数であります。

でも、奨学金も満期で受給が終わってしまったし、生活資金が必要なので。致し方なし。働きます。

 

そんなわけで、予想を反して中々にハードな日々であります。

そんな中、現在大学の方はある話題が白熱しております。

 

「カリキュラムの改訂」

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クリスマスが今年もやってくる。

タイトルにメロディーがついたあなたはきっと私と同じ世代。

 

今日はぐっと冷え込んだウィーン。

あちらこちらでクリスマスマーケットが始まっています。

とうとうやってきた、と言うよりあっという間にこのシーズンがやってきた、またやっって来た!。というのが本音です。クリスマスを最後に楽しいと思ったのは小学校四年生ぐらい。ぼんやり生きていたくせに早熟だったのか、ふとクリスチャンじゃないのに、なんでこのヒゲのおじさんを敬うのだろうか?いや、むしろ敬いもせずチキンとチョコレートケーキを食べて、プレゼントをもらっていいのだろうか。と小学五年生にして大いなる疑問を抱えていたものです。

 

そんな私がもはや海外生活通算五年目、ずっとキリスト教国に住んでいるのです。

過去2年のウィーンでのクリスマスもそれなりに頑張りました。本当頑張った。笑

 

そして今年は、なんとオーストリア人の友人の実家にお呼ばれ…というさらなるハードルがやってきました。いやぁ、大好きな友達で、彼女が本当に心から私に素敵なクリスマスを過ごしてほしい気持ちが伝わってくるので感涙、その気持ちは嬉しいです。

ただ、ここで2つ問題があります。

 

その1:一度も会ったことのない5人家族+赤ちゃんのプレゼント選び。

その2:オーストリアのいい感じの田舎なので、オーストリアンドイツ語への心配。

 

…まさかこのアジア人がこんなことに不安を覚えているなど、誰も知る由もないでしょう。でも重大な問題です。友達とのクリスマスパーティーに同居家族へのプレゼントだけでも、まぁまぁな課題なのです。そして何を隠そう、一番の不安が方言。マジで何言ってるかわからないドイツ語というのを聞いたことがありますか?私はあります。そんな時どうなるかというと、もう笑ってやり過ごすしかないのです。もう顔が作り笑いで引きつっちゃうんです。

 

かといって、彼女のあの澄んだ目を前にして、こんな邪な理由を告げられるわけもなく。ただいま、違う理由で保留にしています。

 

何より、こんなクリスマスに対してモチベーションのない汚れた私を大事なイブに連れて行くなんて申し訳ない以外の何物でもない…。

 

ただ、ユダヤ教の先生が「クリスマスパーティーはいつなんだい?」と超前のめりなのを毎年見ては、外国に住む限りの敬意というのは忘れてはいけないのだと思わされてもいます。その先生「いつでもいいよ、僕にしてみればさぁ」といいながら、毎年必ず参加してくれるのです。

 

とりあえず、もう少し覚悟を決めてから返事をしたいと思います。

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それより今は作品作って自分、来週プレゼンだから!

 

 

海外の人は本当に言いたいことを言っている、とは思わない私の場合。

タイトル通りの話なんです。

実は最近、どうして日本人の学生やワーホリの人がそう言っているのか、にふと思い当たることがあったので、改めて書いてみようと思いました。というのも、最近そう思いませんか?と聞かれたことがあったので。まぁ、自分に対する備忘録が99%なので、あっそう〜くらいに適当に流してください。

じゃあ書くなって?ご容赦くだされ。

余談で。ドイツ語社会な私のクラスの留学生は、このタイトルに変わる言葉として、「ドイツ語の人はどうして1から10まで全部話したがるのか」をよく言っています。ちょっとくどい。笑

 

私は日本以外の生活において、ここが海外だから、だから周りの人が「言いたいことをなんでも言っている」とか「はっきり言っている」と特別感じることはありません。

まず、これが私の前提です。

さらに言うなれば「日本人社会より性やマイノリティーにデリカシーがあって発言に気を使ってくれる」という印象が強いです。簡単に言えば、カナダでもデンマークでもここウィーンでも日本人社会で許容されるような下ネタ的セクハラ発言もパワハラ的発言も受ける機会はほとんど、本当にほぼありません。もちろん生活環境として、そういうことをテーマに生きている節のある芸大生やアート関係者に囲まれているということはあるかもしれません。でも一般教養の範囲でも、そういうことに対する知識や教育レベルは残念ながら日本とこちらとでは正直比べられないほどの差があります。

 

私が冬セメスターでジェンダースタディのどのクラスを取るか悩んでるという話を同居の娘さんにした時のこと。19歳、高校を出たての彼女は私よりも詳しく、聞けば「あぁうちの高校はジェンダースタディに力を入れてたから」と。ウィーンにある普通の公立高校です。簡単に言えばそういうことです。

 

そんなわけで、まずそういう点においては日本社会の方が100%言いたいことを言ってるな、という印象があります。厄介なことに、それにアレルギーを示すとなぜか冗談がわからないやつというレッテルを貼らるということも、長い社会人生活で経験してきました。さらにそこに海外生活から帰ってきた情報が加わると「海外かぶれ」とダブル偏見を持たれるので、もはやそういうノリは無視するしかないというのが今のところ私の対処法です。本音では「まじシンドイ」って思ってます。まぁそう思ってることもバレてます、きっと。すいません。

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