魔法のかけ方。

家に独りでいると、頭の中で自分がこの窓からジャンプする光景が浮かんできて、ジャンプしたらどのくらい痛いんだろうかまで考えて、そんなことに囚われている自分が怖くなって家を出た。なんの理由もなく窓から飛び降りるなんて正気の沙汰じゃない。どこで私は壊れてしまったのだろうか。

 

今までどんなに辛い問題があっても、そのことと向き合って自分で解決方法を考えることが出来た。誰かに相談することも出来た。でも今はそれが出来ない。だって問題がなんなのかが自分でよくわからない。

 

とにかく飛び降りるなんて冗談でも考えちゃダメだし、でも今は自分が一番信用ならないから人のいるところに行こうと思ってアトリエで課題をすることにした。アトリエには誰もいなかったけれど、でも人の往来があって、自分の家じゃないだけで一人じゃない安心感があった。自分の作業台の前に座ったら、手を動かしたら少しは落ち着くだろう。いつもそうだ。でもそれはほんの1時間程度で終わってしまって、気付くと手は動いているのに涙が流れて、しまいには嗚咽。声が出るように泣くと苦しい、これも今週何回目か。これが永遠に続いたらどうしよう。そんなの耐えられる気がしない。誰にも好きになってもらえなくなってしまう。どうしようとそればかりが押し寄せた。

 

音楽をヘッドフォンで流して作業していたので誰かが来たのに気がつけなかった。友達がただ私が音楽を聞きながら作業していると思ってそっと肩に手を置いた。「kiki〜」と話しかけられて、振り返った私の状態を見てぎょっとした。そりゃそうだ。こんな昼下がりに、独りでアトリエでこんなの気が触れたとしか思われない。もう限界で、口から「家に独りでいると窓からジャンプする自分が頭の中を駆け巡って怖くてアトリエに来た」と言ってしまった。彼女は驚くでもなく、真剣に私の嗚咽交じりのその一言を聞いて膝をついて私の腰に抱きつき、私が落ち着くのを待ってくれた。そして、何があったのかと、でも何もないという私の言葉を丁寧に聞いてくれた。

 

私は今まで自殺する人は、何か明確な理由があったのだろうと勝手に想像していた。生きている人間からすれば、死ぬくらいならまだ出来ることがあるだろうにと思ったこともあった。日本で一時期自殺した子供に対して「死んだら負けだ」という発言が議論を呼んでいたけれど、どれもこれも、そういう状態の人には届かないだろうと思う。響かないだろうと思う。そういうことと向き合える精神状態が残っているなら、そもそも誰かに相談したり助けを求めたりするだろうし、そういう状態の先があることを、私は知らなかった。そしてその境界線は目に見えなくて、どこで自分がそれを渡ったのかわからない。ただ、その線を超えたら、もう自分で「何が」そうさせているのか考えるのが難しくなる。だから誰かに相談する時期を逃してしまう。そして多くの人がそれを知らない。知らない方が健康だ。でも健康な人のアドバイスが届く範囲には限界がある。

 

こんなことをこのブログに書けば、もうここに楽しことを書きづらくなるし、私の顔を知っている人も読んでいる可能性があるから、こんなこと晒す必要ないと思っていた。私は気が触れたおかしい人だと思われて、もう友達でいてくれない人もいるだろう。何より辛いことを吐き出したつもりが、そんなこともあるよね〜っと軽く流されれば、ただもう一度傷つくだけだ。そして人は何かそういう重いものを持っている人と距離を置こうという本能を兼ね備えているように思う。私は高校生の頃にパニック障害を発症して高校の3年間が大変だった。独りで大変だった。肉親を含めて、私のその状態に真剣に向き合ってくれた人はいなかった。明るい顔で笑っている私を好いてくれても、泣いている私も苦しくなった私も、誰も触ろうとはしなかった。その時も普通はこんなことにはならないんだから、こんなことになった私は間違ってるんだし、だから周りがそういう私にだけ冷たいのは当たり前だと思っていた。何より何か相談する内容があるならまだしも、それすらないのだから、相手だってどうしたらいいかわからない。

 

でも私は専門学校を皆勤賞で卒業した。

高校3年になって、未だに満員電車に乗れずに遅刻してくる、早退する私の状態を唯一知っていた保健室の先生が私に魔法をかけたのだ。ある日、どうにもならなくて早退しようとする私に先生が「私も同じ方向に用事があって行くから一緒に行こう」と言ってくれた。そして一緒に電車に乗った時のこと「何年も前に卒業した生徒であなたと同じような子がいたんだけど、その子は専門学校に行って、皆勤賞だったんだよ。好きなことなら出来るから、大丈夫だよ」と話してくれた。

 

大人になって思えば、先生のあの時の話も、同じ方向に用事があると言っていたのももしかしたら本当の話じゃなかったかもしれない。でも不思議と当時の私は盲目的にその言葉を信じて、そうかじゃあ私にもやりたい事があるから、大丈夫なんだと思えた。そしてその通りになった。保健室の先生は私に一度も「何が辛いのか」とは聞かなかった。私が保健室で寝ていても、何かを諭したり説教したりもしない人だった。よくラベンダーの香りのするアイマスクを貸してくれて、これをすると眠れなくても疲れが取れるんだよ、すごいでしょと笑っていた。だから先生が唯一話したその話が鮮明に記憶に残っている。ラベンダーの香りを嗅ぐとその笑顔を思い出して、自分が一度は乗り越えられたことも思い出す。先生は魔法のかけ方を知っていた。

 

昨日は友達が夜まで側にいてくれて、後から来た友達が一人じゃないんだから一杯くらい大丈夫だとビールを持ってきた。誰も何も聞かなかった。少しどうでもいい話をして、そして作業に戻った。今週初めてやっと涙が止まった。

 

私は友達と約束した。今度またそのイメージが現れたら、何も考えずに彼女に電話すると。彼女が忙しいかなぁとか、何も考えずに電話して一緒に散歩すると約束した。