新月だった。

あけましておめでとうございます。

 

卒業制作のコミッションまで残り2週間と少々。終わるかどうか、という不安で気持ちが落ち着かない日々ではありますが、去年の年末のように苦しくはありません。

 

10月に在留許可の問題で韓国に帰国した友達から3か月越しに連絡がありました。帰国直後はメッセージを送れば返信があったのですが、10月の半ば頃から音信不通に。何かあったのではないかという言う気持ちと、今はウィーンで悠々と学生を続けられている私の生活に耳を傾けたくないのかもという気持ちがせめぎあって、わたしも少し連絡を控えました。どうせ返事返ってこないし、なんならちょっと勝手だな、ウィーンに居たときはあんなに連絡くれてたのにな…と当初は淋しい気持ちもありました。

 

でもしばらくして、もし何かぷつっと糸が切れてしまったとき、もしくは切れてしまった糸を結びなおしたいと思ったときに、気にせず連絡してねという態度を示そうと思いました。本当につらい時は、自分がどういう世界で生きているのか認識が弱くなって、もし身体的に目の前にしている世界が辛いならなおさら、バーチャルみたいに遠いウィーンにいる私が避難所になる日が、あるかもしれない。

 

返事が返ってくることを期待せずに、定期的に電話だけを鳴らしていました。

彼女が読みたい言葉が、わたしにはわからなかったから。

 

今朝、彼女は翻訳機を使って、日本語でメールを送ってきました。初めてのことです。日本語なんてさっぱりわからないのに、わざわざ日本語で伝えようとしたその行為に、彼女からのごめんねと、本当に大変な時期を過ごしていただろうなというのが伝わってきました。でも生きていてよかった。

 

大げさに思われるかもしれないけれど、私もぷつっと糸が切れて、吸い寄せられるように線を越えそうになったことがある。なんていうか、本当に浮遊したように苦しくて痛くて息が出来なくて、誰かを残していくこととか、誰が悲しむとか、だれに迷惑とか、そういう感覚が遥か彼方の、それこそ自分とは違う世界へ飛んで行ってしまって、それで、ふらふらっとふちを歩いてしまって、危なかった。息ができないほど呼吸が苦しくて、危なかった。後から自分で考えても、そこまでの何かが自分の身に起きていたわけでもないけれど、そこまでの何か、なんて測定値はそういう時にはメーター振り切っててわからないのだ、測定不能。何が言いたいかというと、そんなことで…というより、どんなことでも、起こりえるのだ。

 

でも私はあと一歩のところで、目の前に友人が立っていて、引き戻してくれた。

だから、しんどそうな友人がいたら、目の前に立つことだけはしようと思う。

返事が来て、本当にうれしかった。元気になってほしい。

 

この数年で人間関係の悩みはとても少なくなった。

誰かと交流を持つうえで、わたしは自己中になることを学んだ。自己中に、この人が好きだからという理由だけで相手と向き合っているだけだとシンプルに思うことにした。たとえ何か同じようなものが与えられなかったり、感じられなかったりしても、自分が人間的に好きだと思える人なら、自分がその人に対してどうありたいかだけを考えればいい。そうして、そうやって自分がテイクすることより、ただ素直にギブできると、そういう自分のほうが好きだと思えるようになった。そうしたら、好きな人だけが視界に入るようになって、生活が楽になった。

 

作品も同じだ、と12月、現代アートの講義をしているアーティストの先生から教わった。わたしが今取り組んでいる作品は、わたしが投影されていて、それがあまりにもパーソナルすぎないか、文脈の違うヨーロッパの人が見て、なにを理解しようとしてくれるのかが不安で、それでもじゃあ感情と作品の距離をただ離せばいいのかもわからない、ということを素直に打ち明けた。先生は静かに話を聞いて、「Kiki、僕はコーヒーを入れようかな、一緒に飲もう」とアトリエから彼のオフィスへ連れ出された。コーヒーの入ったカップを私の前において、彼は静かに「誰が理解できるかではなくて、大切なのはあなたが、あなた自身をきちんと理解することだ。自分がなぜこれを作っているのかを、自分自身に明確にして、自分自身を納得させることだ。ただそれだけだと思うよ、僕は」と話してくれた。

 

クリスマスの前日、ドイツへ帰る前に、また私のところへ会いに来てくれて、豪華なチョコレートの詰め合わせをプレゼントしてくれた。きっとクリスマスも制作漬けだろうから、と。そして「あれから数日、君の作品について考えることが何度かあったけれど、僕はきっとうまくいくと思うよ」とメモが添えられていた。

 

家に帰って、ルームメイトとそのチョコレートを開けて、つまみながら、彼の話しをした。ルームメイトが「ありがとう、わたしが今日いちばん聞きたかった言葉だ」と笑顔になった。彼女はアーカイブの研究者で、1月に締め切りのものをいくつか書いていた。行き詰っていて、周りの研究者からそんなこと、と言われることが気になって進行が滞る自分を責め始めていたらしい。でも、私たちはチョコを食べながら、「だって私は作品をつくるって自分で決めたんだから、何が大事か自分で決めていいんだ」「だってこの研究テーマはわたしのものだから、過程で何が大事かは私が決めるんだ」

そうだ!と冗談を言い合って、ビールを一缶、半分ずつ飲み干して、また作業に戻った。なんだか少し霧が晴れたような夜だった。

 

彼女はまだ霧の中にいるみたいだ、でも彼女の視界に私が写ったのだろうか。

ウィーンに帰ってきたら、たくさん歩いて、たくさん笑いたい、一緒に。

 

雪でも、ウィーンの森は美しいから、春まで待ったりしないで、はやく戻ってきてほしいな。春の前の静かな寒さでも、大丈夫だ。