手放せないものが膨れ上がる。

応急処置で歯に詰め込まれた、白い塊はまだ健在です。このままなんとか来週の診察まで持ちそうです。ちなみに新たな詰め物(本番)をした場合の事情も情報取集が出来まして。おそらく高額な請求はないと踏んでいます。歯医者のポイントは美容目的か健康維持か、のようです。

 

というわけで、歯医者が…という話題から、またあっという間に時間が過ぎ去り。

未だにウィーンでくすぶっています。

 

朝と夜のベッドの中では、日本に帰った方が先のことを考えると賢明だ、そうだ。

と、なるのですが、日中活動していると、今のこの生活が実際、満ち足りているのではないだろうかという気がしてしまう。

 

もうすぐ満5年になろうというウィーン生活。

手放せないものが膨れ上がってしまったようです。

 

ここにいると、誰にも年齢に見合った生活というのを提案されません。

私はただ、自分の支出に見合う程度の収入を確保したら、残りの時間を自由に使うだけです。とりあえず院まで出たので、もう学業への後悔みたいなものは無くなりまして。それと同時に、どうにも好奇心は抑えられないので、その時に無理のない形で何かを調べて読んで、時には誰かに教えを乞う、というのはやめられそうにありません。実際大学で勉強していたことは、とうてい4年で専門家です!と言い張れるほどのものではなくて、やっと入り口から全体像を見た、という感じです。

 

ちなみに博士課程に片足突っ込んでいるのは、未来の自分へのプレゼントのようなものです。卒業する直前まで、博士課程なんてものは頭の片隅にもありませんでした。それがたまたま、卒業間際に知り合った博士課程を4年している友人が出来て、彼女と意気投合して、そんな世界もあるよというのを教えて貰いました。制作のテーマとして社会的なものを扱うように、アカデミアでもマイノリティの声を届けることが出来るんだということを教えて貰ったと言いますか。もちろんアプローチする層が異なるとは思います。それでも、なんていうか、まぁちょっと覗く機会をいただいたので、とりあえず最初の叩きだけは書いてみようという気楽な気持ちで3月からノロノロと手を出しています。おそらくこのままストレートに博士課程を邁進することはないと思います。今書いている学生も、スーパーバイザーの教授も、出会う人みんなに「本当に始める前に、それがあなたの人生にとっていいのか考えた方がいい。とにかく孤独な仕事だから」と口をすっぱく言われています。その通りだと思います。ただ、いつか未来の自分が、やっぱりどうしても書きたいんだ、書かなければならないと勇気を出した時に方角が分かるように。その地図を今は書いているという感じです。実際問題、テーマが大きすぎて、今すぐにどうにかなる感じでもないというのもあります。

 

話が逸れました。

そんな感じで、卒業して、早いもので3か月がたちまして。

当初は、こんなに苦労して学位まで頂いたのだから、それを生かした仕事をしなければならない。みんなのような正規ルートできちんとした仕事を探さなければ!と思っていました。…今もまだ若干思っています。

 

それでもストレートに就活に入らずに、博士課程に片足突っ込みながら考え事をしているのには、自分なりの理由があるんだろうなとずっと考えていました。もちろんアルバイトを続けられていて、今すぐ生活に困るということでもないというのもあります。でも困ってないけど、とっても貧乏ではあります。苦笑。

 

でもどうもドイツ語圏の仕事の求人を眺めながら、これは国が変わっただけで、私はまた同じ過ちを犯そうとしてるのではないかというモヤモヤが渦巻いていたし、今もそうです。さらにはこういうドイツ語圏特有の芸術関連の契約のお仕事をいただいて続けたところで、日本にスライドできることが殆どないことはすでに知っているのです。素晴らしいことなのですが、ドイツ語圏において私の分野は割とちゃんとお金になるポストがあって、私がヨーロピアンだったら結構未来は明るいのかもしれません。ただ、私はヨーロピアンじゃないんですね。その国の市民権とか永住を目的にしない限り、歳を重ねて日本に帰国する未来を考えると、無駄なことはないとはいえ…としり込みしています。理屈抜きに一番怖いのは、5年後とか10年後に両親の老後に合わせて帰国したものの無職というシナリオです。そんなの本当に辛い。

 

じゃあ、やっぱりさっさと帰国しなはれ、ですよね。そうなんですよ。

なのに、なんでこんなにモラトリアム堪能してるんですかね。

 

今朝、シャワーを浴びながら、今更ながら、その理由がはっきりとした気がします。

 

私は世の中に用意された箱の中で上手に生きられないくせに、こうやって節目節目で、その箱に憧れて、のそのそと入ってみては長続きしてきませんでした。今までは若さ故に、割と仕事はすぐに見つかったし、転職なんてポジティブに捉えていました。それで、同じく「若さ故に」ちょっと行き詰ったら海外に出ていただけだと思っていました。実のところ、こういうスナフキンみたいな生活は今回、大学を卒業したら日本にきっちり根を張って、終わりになると思っていました。卒業するまでは。

 

でも、たぶん言語のハードルが割と下がった今は、昔より簡単に放浪できてしまうわけで。自分が一か所で週5日きっちり出勤する生活に戻れたとして、この先20年同じ場所で働ける忍耐があるとは思えない…。そして、両親を理由にその選択をしたとして、最後に一人残されたときに、わたしの人生ってなんだろうって救いようもなく落ち込むのではないか…。

 

たぶん、私に今必要なことは、これから10年、20年育てていける仕事で。それは居住地域が変わっても継続可能なもので、今のウィーンの生活のように収支のバランスが取れて健康的な生活を維持できれば満点だろうと。幸い、周りに驚かれるほどには物欲がなくて、質素であることにストレスはありません。便利なものは必要ないし、BIO製品だからと消費する生活よりは、そもそもゴミを出さない生活を支持しています。それは制作においてもイコールで、芸術だからという理由で資源を贅沢に使うことには反対です。

 

わたしに必要なのはサステナブルな私の仕事なんじゃないか。

私が箱に合わせるんじゃなくて、私の行動理念に合う形の仕事を自分で設計する必要がある。まだこれから10年、20年と働くのであれば、ゆっくりでもそうする方がいいのではないか。

 

そうシャワーを浴びながら思いました。

ミクロに落とし込むと、やることが膨大で、先も見えないし、それこそ不安な道でしかないのですが。でもいきなりそこに舵を振り切る必要はないわけだから、コツコツ生計を立てながら準備をして、なんだか生きていけるかもって思えるまでやってみたらいいのかもしれないなぁと思い始めました。家族が健康でいてくれるうちに準備をして、彼らが私を必要な時に、私も彼らも何かを犠牲にしたと思いすぎないように。

 

何か一つの仕事をしよう、ひとつの国に住んで、ひとつの言語で生きようとすると

私が今大事に抱えているものの、少なくとも半分を手放さなければなりません。でも欲を出して、膨れ上がったものを、全部抱えて生きていけたらいいなと思います。

 

そして、膨れて、膨れて、誰かにおすそ分け出来たら、もっといいなと思います。

 

でも、これも日々の徒然でふと思ったことなので。

また、新たなひらめきがあるかもしれません。