ヨーロッパで帰省。

3月から夏まで続く激務に向けて、のんびりとした2月(個人的見解)。
時間があると、ついつい人の分まで仕事をしていまうのを最近同僚に注意されました。

「Kiki、優しいのはあなたの人柄だから仕方ないんだろうけど、それにしても境界がなさすぎるから。なんでも手伝わなくていいんだから、あなたそのうち壊れちゃうよ」

と。いやぁ、ついつい手が空いてるなと思うとね…わかってるんですけどね…

 

というわけで、オフィスに出ると手が出るので、打ち合わせがない時は家に籠りがちに。どうせホームオフィスなら、とこの隙に最後の大掃除にウィーンまで行ってきました。7,8時間の電車移動もとうとう慣れてしまいました。最短、最良の乗り換えルートを見つけてしまいましたからね。ドイツ鉄道が遅延しても、もう驚きませんよ。最近聞いた遅延のアナウンスは「爆弾発見されたので止まります」でした。よくあるらしいです、第二次世界大戦のときの不発弾が見つかったみたいで2時間遅延。アナウンスで情報が更新されるたびに、雑音がすごくて、車内爆笑。すごい大変そうじゃん、水でも飲んでくれよって言いたくなる感じでした。ちなみに今回も帰りのドイツ行きが1時間遅延。車内で待たされました。まぁもう知ってたさ…。慣れってすごい。

 

 

さて、今やオンラインで何でもできる時代ですが、オンラインというのはなぜか対面より時間がかかることが多いのです。こちらの保険に加入して、オーストリアの保険を解約するのにメールのやり取りすること2か月、やっと解約されました。ちゃんと重複して支払った数か月分も返金してくれましたが(重複したのはあちらの対応が遅かったんでね)、清算書がウィーンの住所に届くあたりちょっとポンコツ。ウィーン住んでないから解約したんやで?と一人突っ込んじゃいました。幸い元ルームメイトがまだ住んでいたのでちょこちょこ連絡が来るので問題なかったのですが…。

携帯も解約、こちらもオンラインで完了。

このまますべてオンライン、ハンディシグネチュアでいけちゃうのではと思っていたのですが住民登録の抹消と銀行口座の閉鎖で躓きました。

 

銀行も住民票もこのままそのうち返事くるかな…と待ってもよかったのですが、まぁ窓口いったら一瞬だろうな…と思い、全部まとめてウィーンへ行ったというわけです。もともと、ドイツの家が決まるまで作品系の荷物をウィーンの住居の地下室に置かせてもらっていて、ちゃんとした部屋が見つかったら運送を手配しに、もう一度ウィーンにはいくつもりでした。

 

銀行も、住民登録も、やっぱり窓口でものの5分で終了。ドイツでグッドラック!と笑顔で見送られました。

 

面白かったのが、役所で隣に座ったおばあちゃん。あぁ待ち時間が長くてやんなっちゃうと話しかけられました。30分で呼ばれるならウィーンでは御の字と答えたら、笑われました。イギリスの方だそうで、「イギリスではこんなアナログありえないのよ」とぷんすかしてらっしゃいました。一応簡単なものはメールでも対応してくれるだろうが、どうしたんだと話を聞いたら、オーストリア人の旦那さんが急に亡くなって、貸していた家やら旦那さんの役所周りの整理に、今住んでいるインドからわざわざ来たんだとか。なんでオーストリアなんかに住んだのかしら、furchtbarを連呼していました。確かにドイツに来てから、オーストリアのこういうシステムは中々なハードなものだったと実感したので、私も、うんうんと苦笑い。

 

まぁでも聞いてくれよ、おばあちゃん。
私は在外選挙の登録住所がまだ更新されていないのか、ウィーンの住所に選挙事務局から手紙が届いて、なにかと思えば、在外選挙の登録カードに不備が出たから、上からこれを貼ってくれって3cmくらいの長さのテプラで作られたシールがわざわざ日本から届いたんですよ。もっとアナログな国はある、と写真を見せたら大爆笑。いやぁ日本はハイテクだと聞いてたよと言われたので、私もそう願いたいが、判子社会なんでね…と。日本に比べたらマシな気がしてきたおばあちゃん、まぁもう来たんだしやるしかないよねと。

 

ちょうどお天気に恵まれた春みたいな気候だったウィーン。元ルームメイトや大学時代の友人達と飲んで食べて散歩したり、映画見に行ったり、一人で美術館に行ったり。ちゃんと秋のプロジェクトの打ち合わせもしました。偉いぞ。

 

3日しかなかったので、ほとんどの友達や知り合いに連絡することなく、ごくごく近しい人に会っただけの、弾丸でしたがリフレッシュできました。友達と海外に第二のホームみたいな場所があるのって変な感じだわと話しながら。

 

思い返せば、日本では割と複雑な親族関係のある家庭だったので、あまりこう長期休暇にどこかに帰るみたいな習慣がありませんでした。学生時代に友人が一週間も休みがあれば実家に帰るのをちょっと不思議に思っていたのですが、今回初めて、これか!と思いました。こうやってリフレッシュしたくて移動に半日かけてもみんな帰省するんだなぁ…と。

 

不思議なもんで、それでもドイツの今の家にも「帰ってきた感」があって。
ここは、ここで居心地よくなり始めているのかもしれません。

ポートレート。

12月に引っ越した家は、職場から街の中心地を横断して徒歩で帰宅できます。
行きと帰りのルートがなんでか全く違う道を歩いているのですが、帰り道、いつもショーウィンドウを眺めていたお店に今日ふらっと立ち寄りました。そこはアンティークの照明やガラスを扱っていて、丁度、次のプロジェクトで40年代辺りのアンティークの照明をリサーチしていたので。

 

そっと背負っていたリュックを下ろして、扉から覗いたら、お店の亭主のおばあちゃんがどうぞ、と迎え入れてくれました。
中央に吊るされていたアンティークの陶器のランプを眺めていたら、ポルトガルの陶器で手作りだよ、と灯りをともしてくれました。よく手入れされたランプでした。お店を見わたしても、どれもアンティークとは思えない、よく手入れされていて、ちゃんと生きてる。いいお店だなぁと眺めていたら、話しかけてくれたので、

仕事で照明を探していて…と話し始めてみたら
びっくり、おばあちゃん、年金生活入るまで私の職場で働いていた人でした。

34年働いたよ、と当時の仕事の写真を見せてくれました。
今、私が通っているアトリエの床と同じ。フラッシュが上手くたかれていない、なんだかインスタの加工みたいな、いやスワイプじゃない時間をちゃんと重ねた写真を沢山見せてくれて当時の話をしてくれました。今と何も変わらない、私が右往左往しているように、おばあちゃんも振り回されながら、でもそこに人生があったんだ、とてもいい仕事だったと言っていました。面接に呼ばれるまで2年も待ったんだよ、と。私と同じくらいの年齢で始めた仕事で、まだまだやりたかったけれど、街の雇用だと引退しないといけないからね…と。

 

時間で区切れない、いつも仕事しちゃうでしょう。あなたも芸術家ね…と笑っていました。アンティークショップは旦那さんが元々していたもので、はっきりとは聞かなかったけれど、旦那さんの写真を見せてくれながら90歳だったときの…とすべて思い出の中の人のようで、もうご一緒ではないのかな…と。

 

そんな話をしていたら、ご近所さんがひとり、ふたり、と。
そういえば、まだ夕方だったなぁ。みんな仕事帰りに立ち寄ってるのかな。
ご近所さんに歯医者を変えたいんだけど、どっかいいとこないかしら?と聞かれて、すぐ近くの歯医者をおすすめするおばあちゃん。

 

ご近所さんが、でもあそこムスリムでしょう?と言うと
それがなに?すごく腕がいいって評判なんだから、行ってきなさいなと。
ご近所さんも、そうよね…と徒歩で歯医者まで行き、アポを取ってまたお店まで帰ってきました。

 

小さなお店に、知り合いが代わるがわるやってくるもんだから、そろそろ…と帰ろうとしたら「またいらっしゃいね!近くに住んでるの?」と言ってくれました。

 

80歳のおばあちゃん。最後まで私の国籍を聞くこともなく、ドイツにいつからいるのかとも言わず、まるで新しいご近所さんのように接してくれてうれしかった。

仕事の帰り道でいつも前を通っていると言ったら笑顔で「それならまた会えるわね」と手を振ってくれました。

 

1月後半からホームオフィスが多くなって、あまり職場まで行っていないのだけれど、行けば私を見かけて「KIKI、顔見せなきゃだめじゃない!元気なの?」と声をかけてくれる人ばかりで、なんだか出勤しているのか、むしろホームに行っているのかよく分かりません。ただ、おばあちゃんとの出会いも、ルームメイトとの出会いも、職場の人間関係も、恵まれていることがすごく有難くて。

 

帰り道に、ふと先週ここで仕事に来ていた教授と話したことを思い出しました。
夏に、性悪で評判のアーティストの仕事を担当するのが憂鬱で、いまから心配しているという話を私がもらしたら

「KikiあなたはGlückliche Menschenだから大丈夫よ」と肩を叩かれました。

 

Glückliche Menschenかぁ。彼女はあなたはセルフコントロールが上手いから大丈夫と言ってくれたけれど(私が未だに子どものようによく泣きべそをかいているのを彼女は知らないから。笑。)、どっちかというとラッキーものではあるな、と。人に恵まれてるねって海外でも日本でもよく周りの友人や家族に言われてきました。Kikiの話にはいい人しか登場しないね、と友人たちがよく笑っています。言われてみたら、ううん、言われなくても、そうだなと思います。笑ってくれてるあなたみたいな人に囲まれてるからね、といつも心で思うのです。

 

もしかしたら、フラフラどこへでも一人で移動して生活しちゃう根本的な原動力は、どれだけしんどくて泣くことがあっても、出会える何かに疑いがないからなのかもしれません。

 

それでも、いつかは、全部が、ちょっと遠くなるんだろうと思うけれど。
今日おばあちゃんが、大事にしまっていたいた写真のように、ちょっと遠くなって形が変わっても、なくならないといいなと思います。

 

全くプライベートでポートレート的な写真を撮らずにここまできたけれど、
なんだか明日から、景色だけじゃなくて、人の写真を撮ろうとすごく思わされました。今目の前にある景色を手放す準備を少しずつするみたいで、なんだか形に残すたびに少し寂しくなりそうだけれど、いろいろあったなといつか思い出したくなるかもしれないから。

 

はるか昔の写真技術のない時代から、何日も、何週間もかけて絵としてポートレイトや景色を残してきた歴史のその先に、わたしもいるんだな、人って今しか見えないのを知っていて、それがちょっと悲しい時があるものね、そんな気がします。

こんどはアムステルダム。

日本も大寒波に見舞われたようですが、ドイツも中々に冷え込んでいます。
湯たんぽが手放せません、こんばんはKikiです。

 

このスタイルで書き始めるのとても久しぶりです。
昨日、日本の友人と電話で話していたら9月にドイツに移ったときはどうなるかと心配になるくらい疲弊してたけど、なんだか新しい環境に順応し始めたね?と感想がポロリ。確かに。居住環境が安定し、銀行を開き、とうとう今日は移民局のアポイントで長期の滞在許可の申請に行ってきました。

 

これが、ウィーンはなんだったのか…と思わされるくらいあっさりとしていまして。まぁ私はウィーンでもエピソードになるほどのトラブルには見舞われなかったラッキー者だったんですが。受付の人と喧嘩したくらいでしょうか。
こちらドイツ、事前にホームページに記載されていた書類をデータでメールしたら、翌日には私の担当者から住居について追加書類提出のメールが届き、さして特殊なものではなかったので、ルームメイトがすぐ手配してくれて、2日後には「予約ですが来週月曜日の朝はどうですか?」というメールが。

 

移民局の人に、いつ来れるか聞かれたの初めてなんだけど、何事!とビビる。
ここはそんな田舎でもあるまい、なんなら外国人比率は他の都市より激高なの明白なのに余裕あるのかな?単純に外国人に優しい街なの?なんなの?とびっくりしながらいそいそと行ってきました。(ベルリンじゃないというのはもちろんあるんだけど)

 

もう必要な書類は全部提出していたので、パスポートの写真と指紋を採取し、滞在許可に関する誓約書にサイン。ベルリンから3週間くらいで手紙来ると思うから、そしたら費用払ってピックアップに来てね!じゃあね!とな。

 

そもそも、提出しなければいけない書類がすごく少なかった。Dビザを先に取得してたからなのか…デフォルトでこんなにシンプルなのか…。

 

とりあえず、契約期間分を一回で出してくれるみたいです。
帰り道、いやぁ~とりあえずしばらく滞在許可とかVISAについて考えなくていいのありがたいわぁ。毎年更新じゃないの、天国なんだが!とルンルンで帰宅。

 

そしてホームオフィスやらアポイントを片付けた夜。
大学時代にウィーンでお世話になったアーティストの先生からメールが。ずいぶんご無沙汰だけど、どうした?と開いてみたら…

 

ヘイ!Kiki!来年の3月一緒にアムステルダムで仕事しないか!あなたと仕事したい!と。

 

これにはびっくり仰天。(ビックリ仰天って古いのかな)
えぇ~非ドイツ語圏魅力的過ぎる。彼女と仕事なんて最高じゃん。先週彼女の作品を美術館で見たばかりだよ。アムスなら英語でいけるんちゃう?

 

と、小躍りするも…待てよ…

またVISA問題浮上するんちゃうんか(ネイティブにはバレる似非関西弁)…。

 

今日、しばらく移民局ともおさらばだ!とルンルンで帰宅したのに…。
ていうか、ドイツに住む日本人がオランダで仕事する場合はどうしたらいいわけ?
なんでこんな隅っこみたいな経験積み重ねてるわけ、私…と自虐気味に。

 

とりあえず、条件がわからないので、今週電話で聞いてみようと思います。
こういう時、日本在住の方が、仕事でヨーロッパ出る時のVISAの選択肢一択で案外シンプルなのではと思い始めました。まぁ準備期間含めて何往復するの?って話ですが。そんなリッチな仕事じゃない限り赤字だし…な…。芸術系でリッチな仕事なんてそうそうないしな…日本に居たら声かけてもらえないかな…さすがに。

 

なんかでも、ここまできたら、二度とないかもと思うことはちょっとやってみようかな…という気になり始めました。っていうか彼女はベルギー在住で、仕事するのがアムステルダム…どうやって1年の準備期間やりとりするのか…彼女機械音痴なんだよな…。*機械音痴すぎて唯一コロナ禍のリモート授業が全キャンセルされたの記憶に新しい。

 

…ベルギーまで週末通いか?

わたしの人生、いつまで移動がつづくの…

 

ということで一つ片付けばまた一山。To be continuedです、これは。

こちら私の1月の初めてのオーソドックスクリスマス体験会にて。
旧正月なみなさまも、あけましておめでとうございます!

 

マッチひと箱。

2022年の振り返りをすっ飛ばして始めようと思います。振り返るには沢山のことがありすぎました。人生を振り返ってもここまでの年はなかなかない気がします。まだ受け止めきれないこともあります。

 

そんなわけで。明けましておめでとうございます。

11月からのプロジェクトが完。今回もめちゃくちゃ働いたので、2月はスローになります。前回は初めての環境であたふたし、今回はアーティストチームに振り回されましたが、その分勉強になりました。

 

言い方を選べないのですが、上手く回っていないプロジェクトほど、勉強になります。大事なのはどんよりとした空気を読まずに常にフラットにポジティブに仕事をすること。上手くいってないことをジャッジするのではなく、その状況で戦うアーティストと「ともに」働くこと。zusammen machen、とても大事。

 

今回でテクニカル部門の人たちといい感じに人間関係が始まったのも収穫です。

彼らほど、全部のプロジェクトにかかわっている人たちはいないので、結構目利きで、話を聞いていて面白いです。10年越え選手ばかりなので、知らないことを沢山教えて貰えて、ほくほく。知らない、ワカラナイを武器にできる限り、沢山吸収したいと思います。そのためにここに来たんだ。

 

実は未だに長期の滞在許可と就労許可を申請できていなくて、気が付けば今持っている短期のVISAが3月まで。来週はこちらに着手。

年末に周りのドイツ人の友人たちから、来年から労働市場の人手不足で外国人の就労許可が緩くなるみたいよという朗報を耳にしていました。

www.tagesschau.de

この記事を読むと、なんて人道的な政策なんだと思わされますが、それが政治。実際は人手不足が深刻なのが実情のようです。確かに、働き始めてこの4か月、毎月どなたかの引退式のお知らせがやってきます。

mediendienst-integration.deこちらのほうがわかり易いかも。私はこの条件には該当しないので、ただ移民局が忙しくなって、私の滞在許可も中々下りないのではないか…という懸念しかないのですが。5年以上居住している人はちょっとチェックしてみるといいかもしれません。

 

とりあえず、スムーズに滞在許可が手に入りますように…よろしく頼みますよ…!

後厄も終わったわけですから…。

 

2023年のモットーは、今のところ

①ドキュメント上のアイデンティティを整理整頓

②自分の作品を粛々と進めてチャンスを逃さない

③嫌なことは職場に置いて帰る、自分の機嫌は自分でとる

④なんでも真正面から受け止めない、彼らは言いたいことを言うが明日には忘れている

⑤一時帰国

⑥今を楽しむ訓練

 

職場に心底意地悪みたいな人が今のところいないのは本当に救いです。ちょっと苦手だった部門のトップの人がいたのですが、たまたま私の大学時代の教授が仕事で来ていて、彼女が私を我が子のようにぎゅうぎゅう抱きしめる場面に遭遇した次の日から、態度が柔らかくなりました。これぞ七光り。なんでもありです。苦笑。

 

ドイツで働き始めてまだ短いのですが、今までの働き方をちょっと脱ぎ捨てられそうな気がしています。日本社会で仕事をしていると、後輩みたいな存在に指導することを求められて、そういうのが器用にできない自分に自己嫌悪していたのですが、ここではお手伝いを求められるだけで、指導は存在しないのが私には合っているみたいです。

どんなに若い人でも、インターン生でも、振る舞いや方法に口を出す必要はありません。その分返ってくる責任もはっきりしていて、自分で仕事の仕方を修正できないと職を失うだけです。シンプル。

 

本来の仕事と指導力を同時に求められるのは、中々にキツイと思います。

でもお手伝いくらいなら、私にもできますから。ウィーンで周りの人々が私を大事にしてくれたように、わたしもできる範囲で出来たらいいと思います。

私も周りの助けがなければ何も出来ませんしね。

 

これから夏までは大きなプロジェクトが続きますが、なんとかなる。そう、今年の目標はひたすら動く、です。嫌なこともいいことも通り過ぎていく一場面に過ぎないと思って、本来の自分の夢の位置を見失わないように。小さな光でも、見失えば怖くて前に進めませんから、時々マッチをすることを忘れずに。トンネルの真ん中では出口の光に照らされることはありませんが、ゆっくりでも進んでいればいつか、外の光が届くところまでたどり着けるかもしれません。私は何かを達成したいというより、出口を探しているみたいです。

 

それと同時に、人生の意味や夢に縛られないで生きたいと思います。

毎日の、今を楽しむことに罪悪感を覚えないこと。来るか分からない未来のために今を犠牲にしすぎないこと。

 

ときどき、昔からの友人や知り合いに、Kikiみたいにやりたいことが出来たらいいのにと言われることがあります。私はただ、こんな風にしかできないだけで、やりたいことをしている!という自負はありません。それに、なにか好きなことを仕事にする必要は無いと思います。好きなことを労働に換算せずに続けられた方がよっぽど幸せな気がするし、そもそも好きなことをするために生れたわけでもないとすら思います。私の場合は、私の好きなことには時間がかかりすぎるので、続けるために労働時間すら費やしているといった方が正しい気がします。出来ることが少ないんです、わたしは。

 

目の前にある、その時間を生きている自分を愛してあげられればそれでいいのにな。

わたしもまだ上手にできませんが、それが今を楽しむ訓練です。

 

そんな感じです。

 

 

来週は大学時代の教授とデートです。同じ業界で働き始めたことを喜んでくれていて、私も嬉しい。こうしてドイツでまた再会できて、感慨深いです。71歳。会えるときは会わないと。いつまでも元気でいてほしいです。

星の読み方。

明けましておめでとうございます。

年末に、ウィーンでお世話になっていた方が亡くなられたという連絡を急に貰い、結局あまりにも急で駆けつけることはかないませんでした。

 

2022年は本当に色々なことがありましたが、最後の最後に突き刺さりました。

 

連絡くださった方は、亡くなられた方と私の関係が最後はぎくしゃくしていたことを知っていて、それでもKiKiだったらそういう事より哀悼の念が勝つだろうとギリギリで連絡してくださいました。

 

罪を憎んで人を憎まず。

最近その言葉が頭の中をこだましていたので、その極めつけの便りだったように思います。もう亡くなられたので、何を交わし、変えることも出来ません。

 

簡単に言うと、前回の記事のような、いつも私の人生の目の前にある時代とモラルの話なんだと思います。

 

私はわたしがスタンダードではないことをよく知っています。

夜空を誰かと一緒に見上げても、私はちょっと違う星と星を結んでしまうんだと思うんです。だいたい、その星と星がどうして繋がるのか分かってもらえないことを知っているので、一人で夜空を見上げる癖がついてしまいました。

 

でも、ずっと一人で夜の散歩だけしているのを心配してくれる人というのが

世界には存在していて、そういう優しい人々が手を引いてくれる。

そういう時は私は私の目を閉じて、習った世界の優しさをちょっと堪能してみる。

 

でも、また気が付いたら、一人の夜が恋しくなる。

 

亡くなったあの人も、私が一人でフラフラとしているのを心配していました。あなたは正直だから好きだ、と言ってくれた人だったけれど、私は彼の昔話が苦手でした。

 

時代の中で、それでいいというものがあります。

それは習った星座版のように、アップデートする機会がなければ、人生の夜道の指針となります。学校教育や時代のモラル感というのは、ある時期に強烈にインプットされると案外大人になってひっくり返ることのない場合が多いようです。例えば私の父がそうだし、あの人もそうでした。

 

時代の座標軸の交わった点と点の描いた美しさと輝きを信じ続ける。

女性は女性の形の中で、男性からの対象物として輝ける。神様が助けてくれる。

そういう星の話を聞くのがある日とてもつらくなって、でもそれはあの人が悪い人だからでも、いやな人だからでもなくて、違う星座版を持っているんだと思うと口に出して伝えることが出来ませんでした。それでそっと距離を取りました。

 

口に出して話したら、もしかしたらよかったのかもしれません。

分かり合えたとは思わないし、嫌われたかもしれないけれど

私のやり方は残酷だったような気がします。

 

サミュエル・ベケットの「ゴトーを待ちながら」というテキストを年末の一人散歩で思い出しました。当時戦火で焼かれたヨーロッパで同時多発的に発生した不条理演劇というジャンルの代表作なのですが、当時アメリカでは全くチケットが売れなかった。でも、それを刑務所で上演したら囚人が涙した。焼野原にならなかった当時のアメリカの一般市民には、囚人がその演劇でみた「神様はいないんだ」の概念がなかった。それはヨーロッパで「神様に祈ったけれど戦争は終わらなかった、神様はいないんだ」と違う次元で人間を表していました。

 

私がプライベートで、だれかにカフェで、例えばここで、そういう「わたしとあなたの星の見え方の違い」を話すことはこのゴトーを待ちながらのような不条理さがあると自分で思ってるようです。そのことにずいぶん前から気がついていたけれど、ちゃんと向き合おうと、そう思いました。

 

プライベートで出会う優しい人を攻撃したり、悲しませたり、遠ざけたいわけじゃない。ただ嘘をつかないでいい距離を保つ必要があるだけ。私がちがう星座版を眺めていることに、あなたが気が付かないように。

 

たぶん、だから私は芸術を選択したんだな。37年生きてきて、どうして私がこの道を歩いてるのかを初めて自己認識しました。

 

いつも言葉にするには、わたしには勇気がなくて。でも嘘をつく、優しさもない。

そういう全部を手ごねて、空間を作って、観る人が自分でポジションを探せる余白のあるものを作品という都合のいい方法で差し出してみる、それがわたしが私を救う唯一の手段のようです。

 

ウィーンで一緒に暮らしていたルームメイトは差別問題に法律家として立ち向かう仕事をしていました。彼女がコロナ禍でホームオフィスをしていた頃、電話の声が聞こえてきていて、言葉で戦うタフさを目の当たりにしてきました。彼女は法律家になりたかった理由に「社会に直接インパクトがある仕事がしたかった」と言っていました。

 

私にはそのタフさが足りないのだと思います。

だからファンタジーを混ぜて、景色を借りて、色や時間や音や光を借りて、そっと差し出すことを選んだのだと思います。

 

あの人が教えてくれたのかもしれない、そういう都合のいい解釈でろうそくが終わるまで。今のろうそくは燃費がいいから一日かかりました。ウィーンの響きを愛した人だったから、西洋式で「まぁいいよ」と言っている気がします。

 

この5年間、苦しんできたことを少し整理できるかもしれません。

そんな一年になるといいな、と思います。

名前で呼んでほしいだけ。

もう今年もあと数日、でもこちらはクリスマスの数日が過ぎればお正月なるものはなく、お仕事をして、週末に大晦日があって、1月2日から通常営業です。

 

家族が集まるような祝日に一人、家でのんびりするのにも慣れました。
毎年クリスマスに「うちの実家にきなよ!」という優しいお誘いがどこかから届くのですが、どうも信仰していない祝祭に参加するのは気が引けて。クリスマスで人々が浮足立ってる感じは見ていて微笑ましいです。そっと見守りたい。

 

ドイツで仕事を始めて気が付いたら4か月が過ぎようとしていて、
新しい家もルームメイトとも心地よく生活しています。いまだに銀行の手続きが完了していなかったり(手紙待ち)、書類上のアイデンティティ構築にはまだ時間がかかりそうですが、外見的なことでいえば概ね順調です。

 

引っ越しをして、生活の質自体は大幅に改善されました。日当たりのよい、広い部屋です。気の合う同世代のルームメイトとも仲良くやっていて、知らない土地で一人という状況は改善されつつあります。仕事も慣れてきて、肩の力を抜いて向き合えているし、仕事としての割り切りもできているので、嫌なことがあっても家に帰る道すがらに「Ach! egal!」となります。笑。ただ唯一、どうでもいいわ!と流せないことがあります。

 

たとえば、一昨日もおぉ、ホワイトウォッシュ!という場面に居合わせてしまいました。

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冬到来とポンコツ。

冬がやってきました。

 

冬の到来を感じる一番の変化は不眠と過眠が始まったとき…

そう日照時間が減り、ビタミンD不足が始まったようです…

 

ウィーンで暮らしていた家はテラスがあったし、アトリエも日当たりがよかったし、学生だったので午前中日光ガンガン浴びて作業してたら、まぁまぁ大丈夫だったのですが。今は仕事柄日光の入らない場所で日中仕事をしているので、これはいよいよ大問題です。

 

ちなみにデンマークでもビタミンD不足で抜け毛がすごくて、ウィーンでもそれは変わらず…まぁ加齢もあります。苦笑。

 

とにもかくにも、引っ越し先の日当たりがいいにしても、いよいよサプリが必要な気がしてきました。というのも日曜日に気が付いたらほぼ一日眠り続けてしまったので。

 

あぁ…冬でも日当たりのいい日本が恋しい。

でも同じ仕事したら結局日光浴びれないけど…

 

そんな鬱々した気持ちで職場に行って、色々なアポイントをこなしていたのですが
今日は頭がぼーっとして、ドイツ語が全然機能しない。

みなさんもそういう日ありますか?そしてそういう日に限って話さないといけないアポイントが多い…そして相手の機嫌も悪い。

 

相手の機嫌が悪くて、私のドイツ語もポンコツ気味だと
「英語でいいから」って半ギレされてへこんで帰ってくる…

 

ただへこみ具合がちょっと今までと違う…
これまではドイツ語で凹んだら涙もポロリとしたものなんですが

 

今はなんだか…もうドイツ語を頑張ろうという意欲が…モチベが…
今日、…ばかりですね。苦笑。

 

そう、なんていうか、もうドイツ語圏で頑張らなければいけない!みたいな強迫観念が消失して、嫌なら日本帰ろう…そうしよう…なので、自分の語学力を放置しがち…。

大学時代は、ぜっったい卒業しなければならないという強迫観念があったみたいです。

 

生活が長くなると、語学向上のモチベって難しいものですかね…

ただ、「英語でもいいで」って言われて、ずっと英語で話してくれる人そうそういないのあるあるだと思っていて…結局向こうがめんどくさくなるとドイツ語にスイッチされて、2か国語に振り回されるこちらの身にもなっていただいて…ってなる。そもそも、結局周り全部が英語になることはないので、2か国語を中途半端に披露するの、それはそれでキツイんだけども。

ただベルリン在住だと、それが普通と聞いて…ベルリーナすごいなってなった。私は今日17時にvery knappって口から出て…もう帰ろう、8時から働いたし…そうしようってなりました。

 

だめだ…この愚痴ブログで自覚しました。
私は明日、薬局でビタミンDサプリを購入しようと思います。

 

ビタミンDを摂取して、すこし正気とやる気を取り戻し
ドイツ語とも向き合おうと思います。多分これは語学テストを目標に入れるべき時がまたやってきたのかもしれません。いよいよC1に挑戦する時が…

 

ちなみに仕事を始めて、急にドイツ語を手書きする機会が激増して
日本語で漢字をPCで打つのは問題ないのに手書きだと曖昧になる…と同じ現象をドイツ語で起こしています。A1の語彙がちゃんと書けないのに仕事してる自分にビックリして、これについてはすごく反省しています。今思うと大学でも手書きする機会ってほとんどなくて、美大だったので筆記でずらずらその場で書かされることが少なかったのでだいぶ自分のドイツ語が似非ものだと、知ってはいたものの、驚いています。

 

そして未だにネイティブの手書きを読むのにも苦労しています。

 

でもたぶん、今どんなに苦労して頑張っても、日本に帰ったら2,3年でドイツ語はころっと忘れそうです。少なくとも口は回らなくなるでしょう。苦笑。

 

今日もダラダラとそんな日々を送っています。
海外生活がキラキラしてたころに戻りたいなぁ…(遠い目)