6年暮らしているから、なのかな。

※病気のこと、お葬式のことを書いています。現在周りに闘病されている方や、闘病中で読むのがつらい方もいらっしゃるかもしれないので、最初にお伝えしておきます。

 

 

月曜日の夜、9時にベットに入って久しぶりに熟睡した。

 

先週の金曜日から月曜日の朝まで、移動が続いてノックアウトされてしまったみたい。
というのも、ウィーンで一緒に暮らしていたルームメイトから先週の火曜日の朝、お葬式の連絡が届いた。月曜日にお母さんが亡くなったと…。

 

ちょうど一年前の今頃、彼女が実家のあるインスブルクから帰ってきた夜。おかえり~、また電車遅れたんでしょう?何か食べる?と玄関で出迎えたら泣き出してしまった彼女を抱きしめたのを思い出した日だった。

彼女のお母さんは数年前に癌で手術をしていて、それから随分穏やかに旅行などにいけるくらい元気に過ごしていたのだけれど、元看護士の勘か…検査に行ったら陽性腫瘍が出てきてしまった、という話だった。

 

彼女はまだ28歳で、「周りの友達は結婚し始めてこれから家族を作るのに、わたしは家族を失う準備をしないといけない」と言った言葉が忘れられなかった。

 

あれから1年、一緒に暮らしていたので、お母さんの容態はいつも耳にしていて、元気がない時は私もお母さんと電話越しでおしゃべりしたりしていた。まだ若かったから、体力が持てばなんとかなるのではないか…と祈る気持ちで、彼女が実家に帰る時にお土産を託したりしていた。

 

彼女は一人っ子で、両親はインドの出身。インドで先生をした後、学業でヨーロッパに来て、そのまま移住し、結婚して彼女が生まれた。実家から戻ってくる時はよく、お父さんに私たちと一緒に食べてねと手料理を持たされていた。彼女は苦笑いしていたけど、いつも美味しくいただいていた。こんな形でお父さんと実際に会うことになるとは思わなかった。

 

お葬式の連絡が来て、こちらのしきたりが分からなくて、果たしてどうしたものか…と一瞬迷ったけれど、一人っ子の彼女が、全部一人で手配していると思うと顔だけでも見に行こうと日帰りでインスブルクまで行くことにした。と言っても片道6,7時間はかかるので、お昼のお葬式に合わせて朝3時に家を出た。列車に揺られながらホームオフィスをさっさと片づけて、窓の外が明るくなるのを見ながら、インスブルクに行くのも初めてだな…山が綺麗なんだって言ってたけど、ほんとに綺麗だな…と不思議な気持ちになったりして。

 

駅で、同じく連絡を貰った友達と再会して、二人で教会へ。

 

キリスト教のお葬式に出るのは初めてで、お母さんの人生を時系列で辿っていくのを聞いていて、亡くなってから全部聞くんじゃなくて、生きてる時にお茶でもしながら聞きたかったな…。最初はイタリアの大学を卒業したのか…知らなかったな…と耳から入る情報が多くて、これもまた不思議な感覚に。彼女が私たちの顔を見て、泣いたら、私たちも涙が止まらなくて。

 

彼女のお母さんが勇気を出して故郷を飛び出して、3か国語も、4か国語も習得して、3つも4つも国を跨いで、優しい私の友達を生んでくれて、私はだから彼女に出会えた。ありがとうが言いたくて、お葬式に行ったんだから、ありがとうだけ残してきた。

 

毎日5分だけ電話してくるお母さんだったから、彼女がウィーンに戻ったら寂しいんじゃないか…お葬式で、お父さんの手を握って、背筋を伸ばして立っている姿に心が痛んだ。でも教会にはお母さんを偲ぶ人であふれていて、彼女の幼馴染や彼氏も来ていたので、きっと寂しい時も誰かが、お母さんの代わりにはなれないけれど、傍で抱きしめてあげられると思う。

 

タイミングが悪いことに、週末に別のドイツの都市への出張があって、金曜日のうちにとんぼ返り。夕食会には出れずに、駅で友達とビールを流し込んで、言葉少なに、でも来年あたりにまた会おうね、それまでは落ち着いたら3人でズームしよう!と別れた。家に着いたときには日付をまたいでいて、仮眠をしてまた長距離列車に乗って移動。週末の仕事を片付けて、日曜日はその街に住む友達に会って、月曜日の朝6時に、11時からのミーティングに間に合うように帰ってきた。ここで冒頭に戻って、ノックアウト。

 

実は、しばらくコロナでお葬式まで参加する機会はなかっただけで、この5年間でウィーンで知り合った周りの人で亡くなったのは4人目だ。

みんな、まだまだ若い人ばかりだったし、私より若い人もいた。


去年、クリスマス前に亡くなった、大学で光学を教えてくれてた先生のことは、今仕事で照明のリハーサルに出るたびに思い出す。先生の時も亡くなる一年前に私がインターンで入っていた先生も働いていたプロダクション中に体調を崩して、検査で癌を告知されたタイミングに居合わせていた。とにかく優しい人で、いつも忙しいのに学生のアポイントには必ず答えてくれる人だった。私の作品を褒めてくれたこと、一緒にコーヒー片手に夏のベンチでおしゃべりしたことを、今も何度も思い出す。

 

彼女のお母さんの声も、きっと思い出すと思う。
思い出すたびに、あぁもう会えないと思うと私は人生が終わっていく人がいること、わたしにもそういう日が来ることを実感する。

 

聞きたいことがあるのに、もう答えてもらえない時に、実感するみたいだ。

 

生きている私は、亡くなった人が愛した生きている人の話に、先に行ってしまったその人の代わりに耳を傾けようと思う。

脈略のないドイツ生活3か月目の近況。

6週間の激務が過ぎ去ったので、その調節で4週間近くのOff期に入りました。

 

いよいよ、やっと自分の労働契約書のカテゴリーとポジションを理解してきました。いや、サインする前に理解しとくべきなんですけどね…。とりあえずフレックス制みたいな、かなり融通の利いた、もとい都合のいい労働形態のようです。まぁ、とりあえずよしとして、受け入れています。苦笑。

 

Off期といっても、休暇ではないので、ゆるいホームオフィスみたいなものです。平日に旅行に行くわけにもいかず、友達も居ない街で一人で引きこもっています。でも電車で2時間以内の場所なら行ってもいいらしいので、来週はちょっと、こそこそ出かけようと思います。リサーチと称して。母が言っていました。人間も動物だから、毎日動いて、何かして、クタクタで眠るのが一番健康にいいんだ、と。

 

ならばと、クタクタになるために、

今日は、来週の会議までに読まないといけないテキストを取りに久しぶりにオフィスまで行ってきました。ついでにサーバーからの添付資料の必要なメールの返信やインターン希望の人の書類に目を通して振り分けなども。でもわたし、こっちの高校や職業訓練校に行ったことがないので、成績表が添付されていてもさっぱり…。これ私が仕分けするの無理あるのでは?と思い、とりあえず上司に転送してダブルチェックを受けることにしました。

 

そんなことをしていたら、同僚が外から「あぁあああああ」と唸りながら帰ってきた。

先週から私のOff期とバトンタッチで彼が新しいプロジェクトを動かしているのだけれど、すでに暗雲たちこみまくりで、やばい!聞いて!やばい!という話を小一時間うんうん、と聞く。何でも聞く。たしかに、やばい。

 

というわけで、私が仕分けながら、ちょっとよさそうなインターン生がいたから、早々に面接して、そっちのプロジェクトに入ってもらおうという話に。手が空いているので、明日にでも人事部等々に連絡して、バックグラウンドチェック入れて、来週には面接しよう、代わりにやっとくよ、そうしよう、と。ちょっと愚痴って気がまぎれたのか、とりあえず今日何も食べてないからご飯食べようと、夕方17時に一緒に最初の食事に。

 

彼も私も、ここで名をはせてやる!みたいな野望が全然ないタイプの平和主義者なので、ゆるゆるのんびり仲良くなり始めました。とことん嫌になったら辞めて、好きな街に引っ越そうぜ、そうしようぜ、人生まだ長そうだし、みたいな。愚痴って一緒にご飯がつっつける同僚が出来そうで、ありがたいなぁ…。

 

職場はこんな感じです。

10月のお給料が、なぜか今日振り込まれるという珍事はありましたが。私の最近の密かなトレーニングは「楽観的になる」なので、とりあえず気にしないことに。たとえば、オーストリアの健康保険が2か月かかって、やっと無事解約されたり、博士課程の休学も手続きがやっと終わったり。とりあえず、終わりよければすべてよし。なんとかなる。なんとかなったし。そう言い聞かせる日々。

 

一番のネックだった家も見つかりました!

色々コメントでアドバイスくださった皆様、ありがとうございます。あとは12月に引っ越して、新しい書類を揃えて、銀行をドイツに動かし、Dビザから長期滞在許可への切り替え。国を移動するのって帰国してまた入るよりなんか面倒な気すらしてきました…あと一歩だ、頑張れわたし。

 

ちなみに、お家は同い年の仕事をしている女性とのルームシェアです。初めて会ったときに、良い距離で生活できそうな予感がお互いにして、さらにお互いに長期で家を空けたり、仕事に明け暮れる時期があるので、その間誰か家にいたらいいよねという点も意気投合。家賃も全部込みで予算内だし、キッチン用品は揃ってるし、お掃除好きみたいだし、彼氏が私と同じ第三国籍の人で、わたしのドイツでの状況もよく理解してくれてちょっと気が楽です。なにより、とりあえず1年暮らして、先のことはまた考えようみたいなところも気楽でいい。

 

前の記事で、引っ越す前提の新築を建てるみたいな憂鬱さがある、と書いたのですが。その気持ちは今も変わらなくて、新しい一人暮らしの家は最低2年契約ばかりで、やっぱり気が重くて。

 

なのでたまたま気の合いそうなルームメイトと出会えたので、一人暮らしは保留に。気が重いことに自分から首は突っ込まない。1年したら、もうすこし自分の日常が地に足がついているといいなと思っています。

 

そんなよもや話を、ウィーンの友達と長電話。

「なんでここで、この仕事しているのか自分でもよく分からない。そう思ってるのに、実際は細かい手続きなどをちゃくちゃくと終わらせてる自分もいて、現実に自分がしていることと、自分が考えていることが乖離していて、足が地面から5cm浮いてるみたい。そういう表現ドイツ語にもある?なければ、白昼夢みたいなことなんだけど」

 

という話をしていました。地に足が付いているは、そのままドイツ語でもmit beiden Füßen auf der Erde / im Leben stehenっていうみたいです。ことわざってなんで万国共通なのが多いのか興味ある…

 

彼は、「白昼夢でも夢見れることがあるのは、良いことだと思う」つまりは「その夢に集中したら現実と一致するってことでしょ」と目から鱗のアドバイスをくれました。たしかにただお先真っ暗だぜみたいに落ち込むよりはマシかもしれない。

 

こんな感じが、ここ2週間くらいの私の近況。

もう気が付いたら2022年もあと2か月。

いろんなことがありました。今年は本当に、本当に大変だった気がする…後厄だからですか…?なにはともあれ、もう、早く地に足をつけたい。それだけです。

 

毎日ただ、クタクタでベットに入ってぐっすり眠るのが一番の幸せな気がしてきました。

前回のプロジェクトのご褒美にお仕事をしていた人からプレゼント。
ドイツで貰った最初のプレゼント。

シンプルに生きたいものです。

朝5時のビール。

この1年、本の書評を寄稿するという仕事をしています。

正式には謝礼のような形で、収入というものに相当しないような小さな金額を頂いていいるので仕事と言えるのか曖昧ですが、納税がややこしいので、むしろそうしてもらっているという感じです。私も日本語のライティング力の最低限の維持としてノンビリと手を動かしています。

 

さて、最近この書評の仕事でちょっと難しいなと思うことがあります。

 

基本的に臨床心理学と教育学関連の著書についての書評の依頼が多いのですが、こういうたぐいの有名日本人著者の本は結構難儀です。

 

英語でも読むので、日本人以外の著者の本と交互に依頼をいただくケースが多いのですが、同じ世代の著者でも根底にあるジェンダー感に大きな溝があることに最近気が付きました。日本人著者でも大抵が海外留学の経験者であったり、海外の著名大学の研究職を兼任しているのですが、大人になって仕事だけしに行っている人とどっぷり現地の社会でもまれるのとでは受ける影響の範囲に差があるのかもしれません。

 

けっこう頭を悩ませるのが、「女性は男性から解放されたのが現代」というそもそも元は女性は男性のテリトリーにあったものという前提を自身が持っていることに気が付いていない日本人著者が男女問わず多いことです。

 

教育学と臨床や脳科学の医療分野の両面から書かれた本に目を通すことが多いので、そこにはそういう視線の先で繰り広げられる父親像や母親像があるわけで。

解放された女性像がフェミニズムとする場合と、女性と男性という二項対立への批判では根本的な前後感が違うわけですが、女性は解放されて変わったという不思議な理論を母親像と結びつけているパターンに出くわすようになって、けっこう驚いています。

 

これは、困ったなという場面が多いです。

本自体の道すじ以前の話なので、そこを突っつくわけにもいかない。

でも根底にあるそういう概念を2022年の今、気が付かないで読み進める読者がどのくらいいるのだろうか…とも思う。もしくは私のミソジニーやフェミニズム、アイデンティティに関する視座が新しすぎるのだろうか。少なくとも一般比で批判的ではあると思うが、それが仕事でもあるので、なんともしがたい。ついでに言うと、だからこういう寄稿の仕事みたいなのを頂いているわけでもあると思いたい。

 

そんなわけで、現在も、このいやぁ~困ったなという本をあと100ページくらい読まなければならず…ビール片手な早朝です。

 

よく同世代のこちらの友人とも話すのですが、ヨーロッパの私たちのような文化圏の仕事場、つまりは大抵が大学院までアカデミックに何かしら勉強してきた人がマジョリティの場においても、50代くらいから上の世代はジェンダー感はマシでも結構差別的な人が多い。でももはやジェネレーションギャップに近いものとして、こちらも処理して、口は悪いが、そのうち引退していくのを待っている。そんな感じで受け流さないと日常が戦々恐々としてしまうので、そうしている、という友人が多い。私もその一人。

 

たとえば自分の父親なんかもそうだ。

彼と深く話すことは極力避けることにしているし、理解を求める気もない。

彼の生きてきた世界の延長線上にフェミニズムなぞ出現しようがないだろうし、なんならそういう変化している社会から彼自身が距離を取ってひっそりと彼の信じた価値観で人生が完結していくことが幸せだろうと思うので、私もそれを願っている。小津映画の美しさを違うものとして見ることに近いかもしれない。

 

ただ、本については結構、それが教育書であるがゆえに、深刻な問題で、私の父親のようにそういう世代だからと横によけても、これを正として若い子育てを担う誰かが読むだろうと思うと結構頭が痛い。

 

ただ、これが日本なんだろうなと思う。

私は常々、自分が子供を持つに向かない人間だと思う一番の理由がここにある気がする。子どもが生まれたとして、女の子だからとプリンセスに憧れてほしくないし、男だからと身体に規律を求めてほしくない。そういうどっちでもない理由で、パステルカラーが好きで、キラキラしたものに憧れて、身体をデザインしたいという欲求で自分の内側から出ることを理由に、自身を定義してほしい。

でもそんなこと、周りのお友達と共有できないようなことを子どもに提案したら、子どもの心が混乱するだろうとも思う。少なくとも、私が誰に言われたわけでもなくそういう疑問を胸に生きてきて、グループや学校生活に馴染めた試しがなかったのがいい例。表面的に繕うことをかなり幼い頃に習得して、うまく紛れ込めていただけだった。

 

そんなわけで、自分の視点が子育てにおいて正しいとは思わない。

だからこういう本で父親と母親の定義が社会的ジェンダーを根拠にすべて固定されていても、それが大抵の子どもにとって健全な社会適応能力をもたらすのだから…と早朝5時にビール片手に文を書いている。

 

頭をちょっと緩く鈍くしないと書いてられないし、読んでられない。

かといって、日本人著者の本は避けるというのも悲しいので…

 

この、違和感を共有できるのは500mlの君だけみたいだ。

 

 

ただ人として生きることが、こんなに簡単じゃないとは子供の頃は知らなかった。

根無し草の悩み。

朝から晩まで働いていたら、気が付けばドイツ生活は1ヶ月半を過ぎていました。

 

職場の雰囲気は相変わらずゆるっと、こざっぱりとしています。
各部門の長みたいな方々は勤続25年とかなので、良くも悪くも動じない人々が多い。

最初の1ヶ月は私が一人であっちへこっちへ慌てていたようです。勤続10年以下はひよっこだという見解を聞いて、さすが公務員ポジション…自動的に給料が上がっていくシステムでもあるので、芸術部門以外の入れ替えは少ないみたいです。

 

さすがに朝から晩まで働きすぎたので、今週末は「Kikiの仕事は今すぐ家に帰って休むこと!」と強制退勤させられました。この1ヶ月のプロジェクトの着地点がちょうど見えてきたので、ありがたく退勤。ワインを一人で空けてダラダラとした休日を過ごしました。つぎのプロダクションはもうすこし肩の力を抜いて、やろうと思います。

 

さて、どこからどこまで書いたのかさっぱりなのですが。

私はいまだ仮住まいでして、12月には引っ越さなければなりません。

 

実はここ数日その引っ越しうつがまた再発。
なんていうか、この縁もゆかりもない土地で一人暮らしの家を2年契約で借りるのが憂鬱なんです。

 

9月から新しい国に移動して、新しい仕事を始めたことで、とにかく2年縛りのさまざまな契約書や申請書にひたすらサインしました。サインするたびに、2年ここから動けないと言われているみたいで、なんだか不安に。

 

ぱっと見は、ウィーンで大学院まで終わって、そのまま同じ言語圏の専門分野で就職して、州の雇用で…と順風満帆そうなのに、この縁もゆかりもない土地にまた何かを一から立ち上げるのが怖い。

 

喩えるなら、引っ越す前提で、新築の家を建設している。そんな感じ。

 

経済的に安定して、一人暮らしができるのに、2年間暮らすということは家具を買って食器を買って…。自分の生活が地に足が付くほど、その足が地面のその奥まで根を張っていくようで、いよいよ、つぎに引っこ抜く作業が大変なことは明白です…。

でも、新しいプロダクションに入ると、朝から晩まで働くので、かなり理解のあるルームメイトでないと一緒に暮らすのは難しそう、故に選択肢は一人暮らしへと。

 

さらに言えば、いまだに仮住まいのため、ドイツの銀行を開設出来ていなかったりして、家を借りるのに必須なSCHUFAが申請できません。これは早急に解決しなければ…

※ドイツお住いの方、おすすめの銀行、もしくはおすすめしない銀行があれば教えてください!

 

何かを解決して、前に進むたびに、なんだか不安。

不思議な溝に足がハマっています。

 

好きなことを仕事にしていて、人にも恵まれ、チャンスも貰えそう。

何を悩んでいるのか、自分でもうまく言葉にできないのですが、夜ベッドの中で死ぬほど疲れたあまたの中を「これがわたしの人生なのかな」という言葉が回ります。

まぁ、めちゃくちゃ疲れているので、気付いたら熟睡してるんですけどね。苦笑。

 

 

日本人の友達がほしいな…

でもどこで出会えるのか…職場に一人もアジア人がいないのだが…

 

私はいつまでここにいるんだろう。

日本が電車で帰れる場所だったら、大抵の悩みは解決しそうなのにな。

ただ、自分でも冷静に客観視すれば、「ものは考えよう」の一言だと分かっていて。2年、とりあえずアップダウンしながら働きながら日本完全帰国の準備をすればいいだけ。5年帰っていないので、考えは変わるかもしれないけれど、拠点を日本に置いて外へお出かけするスタイルが精神的な安定につながる気がしています。気がしてるだけなんですけどね。

根無し草人生について考える、秋の夜長のだらだら日記です。

 

追記: 実は郵送トラブルのため、10月頭の連休にウィーンに行っていました。今はウィーンが私の(仮)帰省先のようです。これもまた不思議な気持ち。

友達の家で食べたかつての、「いつもの朝食」はなんだかホッとしました。

 

気楽に生きる修行をしに来たのかもしれない、5か国目。

早いもので、ドイツに来てからすでに20日が経とうとしています。

この20日が速かった理由は、色々なドイツとオーストリアのサービスに振り回されているからです。この苦労を、ここに葬りたい…。落ち着いたらまたグダグダとことの顛末を書くと思います。特に郵送事情よ…。

 

そんなわけで、わけがわからない、もとい心がはち切れそうなくらいのストレスでよく眠れない状態で仕事の初日を迎えたのですが…

 

ドイツには、というかたぶん日本以外には職場において「新人期間」なるものが存在しません。勤務初日からバリバリと即戦力で働くよね、というものをじゃんじゃん渡されて目が回りながら初日を終えます。やばい。

 

でも、各部署がどこにあって、どういう構造で一つのプロジェクトが動いているのかがわからない。そもそもコンタクトリストが欲しいし、担当者らしき人の名前と顔と、何より電話番号がほしい。これが必要、だれに仕事を振るのか?私がやっていいのか?を右に左に行ったり来たりしながら、一週間が終了。やばい。

 

そして、州の雇用という二重構造なので、たとえば、あっスマホで仕事のメール開きたい…開けない。IT部に聞きに行く、あっ州の許可が必要だからと書類を渡されてサイン→提出、許可を待つ。あっこのドアのセキュリティと私のカギ結び付けてほしい、州の許可が必要→書類→サイン→許可を待つ。その繰り返し。時間かかる…。

 

アトリエで働いている仕事を発注している皆様は朝の8時から働いていて、私はリハーサルが10時から23時まで。アトリエの人とアポイントを取ると必然的に早朝なので、家に帰ったらノックダウン。フレキシブルな就労時間なので、プロジェクトが完結すれば、長期休み、また新しいプロジェクトというので就労時間を調整するようだが…人が足りてない…というかでもエネルギーコストが爆上がりするから雇用控え中のようで、エネルギーコストの予算が組み終わるまで、耐えてくれ!とな。やばい。

 

ただ、慣れていなくてやばいのか。このプロジェクト中は24時間フル稼働は芸術分野においてはスタンダードなので、さして気にしていないが、ブレイクタイムを取れるくらいの人数は雇用してくれるよね…?と不安もありつつ。とりあえず最初のプロジェクトは10月末までなので、いったん走り切るつもりです。

 

全体的に、すぐに良くならない、意見だけは主張し続けろ、ケセラセラ。

そんな空気感の職場です。確かにすべての施設がこのシーズンからリノベーションをスタートして、すべてがカオス。日本だったら、ある程度の状況を見越して、シーズンが始まる前に事前に他部署の移動などを完了しておくものですが、休み至上主義なので、休みの予定をずらしてまでそういうことはしていない。つまり、私はプロジェクトの初日だが、他の部署は引っ越し初日。何か物を頼んでも「あーーできるし、あるんだけど、段ボールあけないとわかんないや。えっ?いつまで?わかんないよ。てへ」っという返事が返ってくる。ケセラセラ。

 

数日たって、必殺仕事人みたいに自分だけ上手にオーガナイズしようとしても、周りがついてこれないし、なんなら「あいつは日本人で細かい」という印象が付きかねないので私もそのペースにのっかってみることにした。何よりチームで仕事をしないと前に進まないし、まだ人間関係が構築されていないので、今は良い関係を築くことが先決な気がする。きっと私がここに流れ着いたのは、気楽に生きるパターンを身につけるためだ。彼らの「仕事のことはパーソナルに取らないのがベスト」を一度取り入れてみようと…。

 

それにしても、知り合いも、ましてや友達もいない場所で仕事だけしに来た感じなので、プライベートの健康を上手にとっていかないとな…と思っています。今は週末になるとウィーンの友達から連絡が来て、おしゃべりしてるけれども…みんな忙しいだろうしなぁ。

 

そんなわけで、社会保険の手続きが滞っているので、状況確認に窓口に行きたいと思います。言ってすぐどうにもならないだろうが、言わなきゃさらにどうにもならない。

 

たくましく生きていこうと思います。

日本は台風が直撃中のようで、みなさんお気をつけて!

 

 

 

泣き言はいうけど、言うことも言う。

引っ越しうつは続くよ、どこまでも。

 

ということで、とりあえず本住所ではないけれど、仮住まい先にそれでも荷物を全部送ってしまおうということで荷物の移動に頭を悩ませています。

 

こんな時に頼りになるパートナーでもいたら、夏のドライブがてら北上するんですけどね。でもパートナーは(いたとて)引っ越し業者じゃないのでね。わたしも運転は出来ない(諦めた)し。

 

余談ですが、10代の若かりし頃、美容師さんと結婚したいという願望がありました。

なぜなら、美容院のシャンプーがこの世の天国だと思っていたから。若かったので。

でも、のちに、美容師だったとして、毎日シャンプーしに帰ってくるわけじゃないことをちゃんとすっきり悟りました。

 

そしてそもそも、ベネフィット込みの結婚は自分みたいなタイプは成し遂げられないことも知りました。すごい余談でした。

 

というわけで、赤の他人にお金で依頼する方式です。

いくつか友達から教えて貰ったプラットフォームを試してみたのですが、こちらの方々は、依頼主がセットした予定や情報をガン無視で、これでどうだ!みたいなメッセージで交渉してくるので、早々に息切れまして。

 

日本のヤマト的な感じの郵送会社を探すことに。

幸い、家具類はこちらで全部手放せたので、荷物は段ボールに収まるものだけ。

 

友達が使って良かった、仕事で使っているという口コミからUPSという会社に集荷依頼を立てました。ただ、友達の口コミではなく、ネットの口コミを見ると一つ星…という不安を抱えながら。

 

まだどうなるか分かりませんが、すでにトラブル発生中です。

もしこちらでUPSよく使っていて、同じことよくあるけど大丈夫だよ!という方がいたらひと言コメントいただきたいくらいです。苦笑。

 

というのも、私におすすめした友達はウィーン発は利用したことがないらしく。ドイツの小規模の街だと、集荷の人が顔見知りだったり。仕事で使えば法人利用で丁寧だったり、と私とは事情が違う様子。でもトラブルになってから知りましたが。

 

私はオンラインから集荷依頼を立てたのですが、送られてきた確認メールの日付が全然違うわけです。まだ集荷すらされていない荷物が、明日ドイツに届くことになっている。めんどくさいが、ポータル上で集荷予定の確認もできないクソシステムなので、仕方なく問い合わせの電話をしてみることに。

 

電話口の人は、依頼した日付で集荷に来るよ、でも正しい注文書は出せない。とな。

じゃあもし、来なかったときに証明ないじゃん、と。

電話口で、「ぼくにはわからない。できない。」の一点張りで、じゃあカスタマーサービスで何してるわけ?と切れそうな気持を押さえて、電話を一度終える。

 

いやぁでも、電話で話した、では後々のトラブルになったときに分が悪いよね。

というわけで、メールも送信。

 

すると、一通目は「予約してるか確認したいからトラッキング番号送って」と。

それでトラッキング番号送ったら「集荷番号送ってこい」と。

それで集荷番号送ったら、「集荷予約は喜んで受けます、予約方法は…」っていうテンプレの返事が来て…。いや、なんなん。予約方法を聞いてるんじゃないのよ。

 

そこで返事を2行。

私の質問を最初から読んでください。質問の内容について回答してください、どうもありがとう!とブチギレでお返事。というのが先週。

 

週明けの今日、また、あれもこれも情報寄こせとメールが来て、いよいよこの会社のロジスティック、ポンコツすぎるだろう、とあきれてもう笑った。

 

でも、こういう時弱みを見せない。これが海外生活通算7年の精神力、ということで、

仰せの通りにご丁寧にすべての情報をメールして、最後に書いておきました。

 

どのような事情で、このような対応をされているのか説明してください。今後、御社のサービスを利用するということは、こういう状況をつねに受け入れるということですか?何が原因でこのような事態になっているのかご存じなんでしょうか。非常に疲弊し、残念でしかたがありません。敬具。

 

と赤文字で追加しておきました。もちろん、ブチギレマックスなのはさすがに伝わったと思うので、返事はまだ来ておりません。

 

こういう時に、

あぁ…日本に帰りたい、となります。

 

もうここまで来たら、ネタだよ。という気持ちに切り替えて、集荷予定日を待ってみようと思います。UPS安いけど、安さじゃなくて友達に聞いてまで選んだだけにがっくりしつつ。ただ、高ければいいとも言えないのがヨーロッパ。

 

なんかでも、こういう中途半端なロジスティックと、紐づけできないAPPやメールサービスするくらいなら、いっそのこと電話一本でしか対応しない、もしくは支店に来て、のほうが原始的だけど確実なんだろうなと思います。システムの紐づけが出来ないのに、安くて使えそうなテンプレのシステムに流し込んだものをただ提供するの本当にやめた方がいいと思いました。使えないプログラムは一ミリも便利じゃないのよ。

 

まぁ全部の荷物を依頼していないので、残りの半分は郵便局経由にしてみようかなと思います。こっちもあまりいい思い出はありませんが、紛失されたことはないので…。

 

久しぶりに海外トラブル色々のタグを使いました。

あぁ、もう家まで届けられなくても(不在じゃないのに不在通知しか届かなのにはもう慣れました…)いいから、せめて紛失しないで至近距離までお願いしますよ…。

 

ただ、ウィーン市内で引っ越すだけでも、ドイツやご近所のEU圏内から家族が駆け付ける謎がわかりました。フランスに引っ越す友達が一家総出で荷物引き取りに来てたなぁ。頼れるのは身内だけなんだな。

 

あぁ…日本にかえりたーい!(二回目)

引っ越しうつ。

気が付いたら、とんでもなく時間が過ぎていました。

 

国を移動する、ステータスが変わる。

なんだか日本から出てくるより手がかかって、タスクが多すぎて頭がパンクしそう。

 

8月の初めの元気な時にここに覚書をしていて良かったと思います。

気持ちが落ち込むと、それ以前のもう少し元気だったころの自分を自然と思い出すことが出来なくて。ここで以前の自分の語り口を読んで、すこし励まされました。

 

今まで日本から違う国に飛ぶときも最後の1ヶ月はタスクまみれでしたが、今回はその比ではありません。日本は帰る予定がある場所で、ここウィーンはおそらくもう定住する予定はなさそうな場所だというのが理由の一つかもしれません。

 

ただ、今、全部を綺麗に片づけていくのは難しそう。12月頃にもう一度ウィーンに来る必要がありそうです。

 

余りにもプレッシャーを感じる。

引っ越しってこんなに病むもの?とネットで調べたら「引っ越しうつ」というのが出てきました。タスクが多くて、かつ新しい生活に不安がある、そういう場合に私のように落ち込んじゃう人がいるようです。

 

今まで、日本からえいっと違う国に飛んだときは、実際にそのあと待ち構えているであろう大変さが現実的に想像できませんでした。

 

でも、今回はもうわかっています。

自分に足りないことや、きっと苦労すること。

また友達もいない土地で、しかも一人暮らし。一からまた始めないといけないこと。

終わりがあるようで、自分で決める必要があること。

どんなに馴染んでも、そこがゴールじゃないこと。

 

移動するのにこんなに苦労しているのに、移動先で苦労することも確定。

そりゃ、病むわ。苦笑。

 

でも、周りの人には

海外で定職に、しかも準公務員的なやつ。

給料も悪くない。

人の協力も得られてる。

冷静に考えて、落ち込むような状況じゃない。全部うまくいくよ、と言われてます。

 

確かに、一人で書類は揃えられたし

とりあえずの仮住まいの家も見つかりました。

ドイツ大使館の人にも、数日で最初の就労ビザ出るからと言われています。

 

はたから見たら、順調。

とりあえず、ただ漠然と不安。こんなに不安なのは初めて。

 

今日は、とりあえず荷造りもそこそこに少し制作の手を動かしました。

そしたら、なんだか心が落ち着いて。これしかないんだな。

 

そんなわけで、この1ヶ月、山盛りのドイツ移住タスクは、また落ち着いた時にシェアします。サイトもちょっと更新できてないし。

 

みなさん、どんな夏でしたか?

もうウィーンでは鈴虫が鳴いています。