指導係サイボーグ。

私は、気が付けば誰かの指導係になっちゃう星の元に生れたのかもしれない。

きっと同じことを思う30代半ばは五万といるのではないでしょうか、と思うのですが、どうですか。

 

私は元来あまり人に興味がない。

聞こえも悪いし、冷たいが、否定しない。人は嫌いではないけれど、あまりグループというものに属せる社交的な人にそもそも好かれない一匹オオカミタイプでもある。自発的なお節介は結構苦手なので、仕事中の私は非常に淡々としていると思う。淡々としていて、指導係に向いてそうに見えるのかもしれない。ちなみにうちの教授は私をプロと呼ぶ。仕事の姿勢がプロなのだそうだ。誉め言葉のようだが、笑ってしまった。

 

ちなみに寂しがり屋でもあるので、気を許した人には割とかまってちゃんを発揮する。でもそれはプライベート限定。プライベートと仕事の顔を持つ典型的なミドルエイジ。

 

そんなわけで、プロっぽい私だが、その役を私に命名するのは、残念ながらミスリーディングである。と私は思う。なぜなら、私はその後輩なのか新人なのか、という人が仕事が出来るようにならなくても余り意に介さないタイプだからだ、今は。

 

今は、というのは20代のころは結構気にしていた。中々出来るようにならないなぁ、どうしたらいいのかなぁと無い頭を振り絞って悩んだりもしていた。それこそ指導を試みようとしていたのかもしれない。でも廻り回って、自分の限界を知った。なんていうか、そもそも私は経営者でもなければ管理者でもないので、ぶっちゃけ、指導係のスキルが低くても致し方ないのではないだろうか。

たまたま、私にとっては好きな仕事で一生懸命働くことを楽しいと思っているが、働いている人が皆そうとは限らない。お金を貰う手段で、内容はどうでもいい人もいるし、仕事をする目的は千差万別なのだ。プロだけが集まる世界でもない限り、まぁ色々な人がいるのだし、ご容赦願いたい。

 

今は、一通りのことは仰せのままに「伝達」するけれど、「指導」はしない。

そもそも指導なんて出来る器じゃないというのが大前提だが、

そもそも、仕事や学業なんてものに必要なのは「できる能力」なんかより「独り立ちする努力」でしかないように思うのだ。もしかしたら、その努力とやらを、教育者的なスキルを持って、褒めたり叱ったりして伸ばすことを私に期待しているのかもしれないが、それは大人相手に無理な話のように思う。そもそもそれを期待しているのなら、そういう管理職を置き、そういう人にお任せしてほしい。面倒見ている私も同時に私の仕事をこなさねばんならないので、そこまで他人に興味を注ぐことはできない。

 

というわけで、一通り伝達して、取りこぼされて、この人はこれが覚えられないなぁとなれば、もうただそれを無言でフォローするだけだ。むしろ永遠と同じことを聞いてくる相手の場合は覚える気もないかもしれないなぁ、と思うので永遠に淡々と同じ回答をし続けるだけだ。そこについて怒ったり物申したりしない、それはもはや私の領域ではない。こういう時に思い描くのはアレクサに他ならない。私はアレクサ、あなたがする質問には答えるが、なぜそれを毎日質問するかについては考えない。私に必要なことは、早々に相手の苦手ポイントを把握することに他ならない。幸い私の仕事は人の命には関わらないので、その人が間違え続けたところで、誰かがフォローすれば大丈夫だという余地が常にあるのだ。

 

その仕事ぶりを評価して今後も仕事仲間としてお付き合いを続けるのかを決めるのも、私の仕事ではない。

 

そんなわけで、本人が悩んだり相談を必要としてそうではない限り、それ以上突っ込んでいくことはない。仕事は人生の100ではない。私にも出来ないことはあるし、それを誰かが知らない間にフォローしているのであろうし、お互い様である。

 

そんなわけで、年齢的な問題かもしれないが、指導係を命名されても、そこに私の人生はかからない。たまに独り立ち努力のスピード感のある人が入ってくると、ラッキー!最高!ぐらいである。ずいぶん気楽になったものだ。

他人の努力に一喜一憂できる「先生」と呼ばれる人のすごさを実感する

サイボーグkikiなのであった。

 

さて、これはどのカテゴリーの話だろうか。