抽象的な日常。

イースターも終わり、街は通常モード…。多分。今日は天気がいいな〜と窓から眺めるだけで、外には一歩も出ませんでした。全然何も終わってないのに、1日が終わっていきます。そりゃすぐ歳もとるってもんです。そんな私に友人からありがたい一言。

Übung macht den Meister! 塵も積もれば山となる!

 

最近は日本人の友人ができ(勝手に友人と慕っている私)、活動範囲がぐっと広がりました。みんな私より若いですが、ウィーン歴は先輩で、色々話を聞いていて楽しいです。私が悩んでいることも、努力を重ねて乗り越えてきた話を聞くと「私も頑張ろう」と素直に思えます。有難や。

 

芸大の友人達と外の友人達。実は会話の内容に大きな違いがあります。先に断っておきますが超ポジティブな意味で!私自身、意識していませんでしたが大学で勉強していることを話して「なんのこっちゃ?」という反応が少なからずあることで、そうか〜なんだか違う世界を2つ行き来しているんだな、私は。そんな自覚が芽生えました。ただ、私の説明が下手だという説はこの際、そっと傍に置いておきます。

 

 

ある日の大学での私たち。

朝、アトリエにて。もちろん英語。ドイツ語ではまだ無理。

 

友人「ねぇ、Kiki。私、地震をデザインしているんだけどアドバイスくれない?」

私「もちろん。興味ある!どの部分について?」

友人「この棚の中に仕掛けを仕込んでプログラムで振動を起こして、上に水の入ったコップを置きたいんだけど。コップの水についてどう思う?」

私「そうだね〜今の水の量は多すぎない?感情的な部分で」

友人「やっぱり?でも溢れるかもしれないという不安感はどう?」

私「不安感…なるほど。ギリギリの状態を襲うのかな?もっと総体的なものじゃない?結果切り取られたら、溢れ出たものだけど…」

友人「ドンって溢れない?」

私「結果論じゃない?どんっは」

友人「揺れ具合はさ、よくない?重くてさ」

私「確かに。重いんだけど溢れる瞬間軽くなるよね」

友人「どっちも試そうかな。じゃあ、色は?」

私「色は見えないんじゃない?見えるかな?どっちかっていうと感触じゃない?」

友人「特定されたものじゃないんだ?」

私「もっと混沌と…結果論だけど。見えるというより、頬を刺す超自然的なものを感じる、そっちのエリアじゃない?見えるっていうよりは。地震を視覚化するの?それとも地震という現象を視覚化するの?」

友人「現象だね。じゃあ音は?」

私「キリキリした、聞こえるかどうか?みたいな?ものが落ちるのとは違うよね」

友人「そうだよね、そう思ってさぁ…」

 

 

…という会話をずーっとしてます。音の話で、キッチンへシルバー類をあさりに行く私たち。キッチンで別の子に「地震に使うの」と話せば普通に「あ〜っ」と返事が来ます。なんなら「これはどう?」とかアドバイス付きで。この後、音の大きさから、鳴る感覚、鳴らない静寂と振動の法則、温度、光、高さ…話は続きます。

 

すごい抽象的。文字に起こすと際立つこの感じ。笑

 

私は自分の専攻について説明するとき中々に苦戦します。同じ大学の子が相手でも説明が必要ですが、まぁ作品や勉強している科目を並べれば「あ〜」となります。でも他の友人に説明する場合はもっと具体的な例が必要になります。難しい。私の母に至っては「何を勉強してるか知らないけど、楽しそうだね」という解釈です。同じ理由から、学外に出すレポートを書くときも同様に、何について取り上げたら理解してもらえるのか、題材を絞るだけで苦心します。

 

あまりに自分の説明が下手すぎるので、科学に頼ってみたところ。

wired.jp

自分でクリエイティヴとか言っちゃってお恥ずかしい限りですが、芸術を勉強してるわけですから恥を偲んで。私の愛読Wiredマガジン。この記事で書かれている同時オンライン状態は個人的には納得のいく主張(結果)だなぁと思います。同時オンラインを多線で中継してるようなものかもしれません。回路をお互いに断片的に切り取って話していて、結果なんだか抽象的な言葉で全体を説明しがちなんです、きっと。いや、わからないけど。さらに言うと「全部言葉で説明したら味気なくないか?」という気持ちもどこかにあるので、さらに抽象的な言葉を選んでしまうのかもしれません。

 

書いてて何が?と思われそうですが、そんな毎日なんです。それをドイツ語でどう説明すればいいか、さらにワケワカンナインデス。そんな報告でした。笑