クリスマスを終えて思うこと。

日本に2月に一時帰国しよう、という気持ちになった。幸い母の容態は回復し、食事制限はあるものの、コンサートに行ったりと元気にしているよう。それでも1年以上顔を見ていないので、2月に私が帰ってくるかもしれないと今から楽しみにしている様子。

 

2月のウィーンは寒くて暗いし、セメスターホリデーでそんなに切羽詰まる感じでもない。今年はインターンもないし。でも日本に帰るのをなんとなく最初は渋っていた。もちろん私が会いたい人はたくさんいるけれど、みんな家庭や仕事があって、私に付き合うほど暇でもないだろうな〜とも思っている。そろそろアルバイトをしたいので、2月は職探しにちょうどいいかな〜とも思っていた、のですが、やっぱり在留許可が間に合えば2月に一度帰ろう!

 

母が待っていることと、もう一つは少しずつ日本が私のイマジネーションの中で、理想の故郷化し始めたことに危機感を覚えたから。決定打は12月のクリスマスだと思う。

私には全くと言っていいほど国際結婚への憧れがない。(もちろん否定する気持ちはさらに微塵もない)過去に違う国の人と、それこそ長く付き合い結婚の話が出たけれど決断できなかった。ヨーロッパで自分が一生を過ごす決断ができないし、できれば何人でもいいけれど相手には「日本に住んでもいいよ」くらいの気持ちを求めてしまう。その時の彼には到底日本で暮らすなど、想像もできず、結局は私はまだ勉強したいことがあって、居住地を決定できなかった。

 

不思議なもので、日本に住んでいると日本の政治や閉鎖的な社会への反発からか、外国は自由な場所のような気がしてしまう。けれど実際には長く住めば、どの国にもその国の問題があって、ましてや外国人として生活するのは中々に辛いものがある。その問題に対して、政治に対して意見する権限を「獲得」しない限りは見守るしかないので、どこか蚊帳の外感がある。

 

今まで、どの国でもキリスト教国的なクリスマスに最大の敬意を払って、私も参加してきた。友人や知人がクリスチャンではない私をその仲間に入れてくれるのは素直に嬉しい。この3日間だって心の底から楽しかった。彼らと過ごす時間に感謝すらしている。しているのだけれど、心のどこかで、信仰していない宗教との付き合いについてつい疑問が頭をかすめるというのが正直なところだ。

もし私がここ、ウィーンで誰かと結婚して、その人がキリスト教徒だったら私は生涯、信仰していない宗教行事に、礼儀という理由で参加することになる。相手も、例えば私の行事に参加してくれれば気にならないものだろうか。よく今はわからないけれど、キリスト教の宗教的な行事を体験すればするほど「一生ここに住むことにならないといいな」という気持ちが小さく疼く。身も蓋もないけれど、宗教とはやはり信仰している人にとってのそれであって、私はそれを消費行動で汚してるだけではないか、大丈夫かな。でも「私キリスト教じゃないからさっ」って友人知人に話して距離を置く勇気も私にはない。

 

実際に、本当にただの年中行事として楽しむことも出来る。出来るのだけれど、一人で夜ベットに入ると「キリスト教じゃないのに、なんだろうか、もやもや」という気持ちで昨日はあまりよく眠れなかった。別に私は宗教に敬虔なわけではないけれど、キリスト教徒ではない、ということが根底に思春期の娘のように小さく縮こまっている。

 

ウィーンの大学で勉強していることに関しては一つも後悔していない。ウィーンが嫌いなわけでも、キリスト教徒に対して何か思うところがあるわけでもない。だらだらと書くだけで、うまく説明できないのだけれど簡単に言うと「違和感」があるだけで。

 

それはまるでどんなに勉強しても、私のドイツ語に違和感があることと関係しているみたいだ。あるディレクターが私の制作日記(ドイツ語)を読んで私にこうアドバイスした。

「kiki、この文章を誰かネイティブに添削してもらうのはやめなさい。このままがいい。もちろん、君のドイツ語の文章には間違いも違和感もある。でもそれは君のアイデンティティがドイツ人でもオーストリア人でもないだけで、僕はそれが何よりも素晴らしいと思う。例えばこの文章を僕が読み上げることは僕の練習になる。僕は君に触れることができる」

 

この先生が以前記事で書いた、多和田葉子さんの本をプレゼントしてくれた先生です。彼は日本での仕事の経験もあり、私の文化への最大の敬意として、こうポジティブに解釈してくれたのだと思います。誰もが彼のように、間違いの先に何があるか、ということまでは考えてくれないだろうと思う。染まれない、ただの失敗だと。

 

結局のところ、私は自分をカメレオンのように変えることは出来ないようです。防衛本能で、ちょっと試みたところで、簡単に捕食されちゃう弱っちい奴なのです。だったらそんなことせずに、堂々と生きるしかないのかもしれません。

 

もしくは、あと数年経てば、まぁそんなものだな〜ぐらいに違和感など感じるでもなくせっせとクッキー焼いているかもしれない。歳をとると、そういう恩恵があるので、そこは少し楽しみ。

 

さすがにホームシックなのかもしれない。

理屈抜きに、日本の夏の夜の空気が恋しい。海の音が恋しい。夕方になると聞こえる夕焼け小焼けとか。私には揺るぎない原風景が今もトクトクと自分の真ん中で生きている。夢を見ているみたいで、これだけは侵食されない気がする。

 

とはいえ、少し夢見すぎている感があるので。笑

 

夢の国など存在しない、ただその時その時で自分が精一杯生きられる場所へ飛ぶだけだ。ということを確認しに。何よりそんな屁理屈関係なく、笑顔で迎えてくれるであろう母と美味しいものが食べたいです。それだけ。