頑張れハラスメントを卒業する誕生日。

2月になりました。一時帰国しようかギリギリまで考えていましたが、結局ウィーンでやらなければならないことが片付いていないのを言い訳に今回は見送りました。ちょうど母も病院通いが落ち着いて、のんびりと仕事に復帰。電話で両親の元気そうな声を聞いて甘えてしまいました。会えると思っていた母を随分とがっかりさせてしまいました。夏の祖母の一周忌には帰ってお線香を上げたいと思っています。

 

あんなに帰りたいな〜とホームシックになっていたのに、今は少し日本に帰るのが怖いです。私は何かやはり母国に夢を抱きがちなようです。ただ、現実を思い出せば、私は日本でこそアウトサイダーで、それなりに苦しい思いもしてきた。かといってウィーンがホームかと言われればそれもよく分からない。自分自身が間文化主義的な何かを体現しているような気すらしてきます。

 

前に書いたように、夢の国を求めて国を移動してきたわけではありません。その時に本当にやりたいことと向き合った結果、移動を余儀なくされたという方が私の場合はしっくりきます。

 

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 そして、今の自分が想像以上に日本社会と距離が出来てしまったことに最近気を揉んでいます。おそらくウィーンの日常で、このブログと読書以外で日本語を使う機会がないというのが原因のような気がします。

 

私の日本語から、本来の主目的であるコミュニケーションという役割が知らぬ間に抜け落ちてしまったようです。会話に使われない言語というのは、実態が曖昧になり、そして違和感を覚え始める。これは過去の生活には無かった新しい現象です。

 

簡単に説明すると、例えば「頑張ってね」と日本語で言われることに違和感を覚える。それが今の症状です。私の症例。笑

おそらく、今、私にかけられる「頑張ってね」に実態がないのです。

日本人同士の「頑張れー」や「頑張ってね」は「またね〜」くらいの挨拶のようなものだと最近思うようになりました。締めの言葉と言いますか。今までは私もそう使っていたような。特段言われて違和感のある言葉ではありませんでした。素直に、ありがとう〜と返事をして終わり。

 

でも今は捻くれた私がいます。それはもうチュロスぐらいにはグリグリと捻くれてます。あっチュロスは縦線だから捻くれてないか。まぁ、メビウスの輪ぐらいには一周回って出口がないくらいに、こじらせてます。そんな私はこう思ってしまう。

 

・割とギリギリ突破ぐらい頑張ってるんですが…。

・近況を知りもしないのに、頑張れって…、はぁ…。

 

すごい、やさぐれてます。笑

でも、そりゃ相手は私の日常など知る由もありません。私がYoutuberにでもなって日常動画を上げるとか、生中継するとか、SNSに顔だしてなんか日本人いない場所にいるのねって写真をじゃんじゃん載せるとかすればいいのかもしれない。…そんなことしたって、相手が同じ経験をしているわけでもないので伝わることなどミジンコでしょう。

 

先日知り合ったウクライナ出身でベルリン芸大院生のアーティスト。彼女は今、ウィーンを拠点にしているのですが、そこへ父親が3日間会いに来てくれる。彼女とその話をした時、共感したことがあります。

「私の制作や作品について友人や家族に理解を求めるのは難しいけれど、実は日常について説明するのはもっと難しい。ウクライナに帰って、ベルリンやウィーンで何をしているのか話したところで、そこはウクライナだから、私の日常の空気は伝わらない。だからたった3日間でも父が訪ねてくれて、私がいつも歩いている道を一緒に歩くことの方が何倍も今の私の生活を伝えることができると思う。だから彼がくることが嬉しい」

 

もしかしたら、私も日本に帰って、今の私を伝えられる自信がないのかもしれません。今に至っては伝えてもないので、理解してもらえない。そのことを寂しく感じてしまう。だから頑張ってねーと一言でまとめられるのが、寂しいのかもしれないし、それを面と向かって日本でやられたら辛いかもしれない。そんなワガママです。

 

この「頑張って」について色々考えていて、反省もあります。それは私がなぜか近しい人にこそ「頑張って」を押し付けてしまう人間だということ。これはなぜか相手が日本人と限定されるのですが、それは私の日本という文脈の中でしか出てこない古き傷。私は過去の自分について、他人に厳しい嫌な人だったという猛省があります。後悔と言っても過言ではない。ウィーンでそういう自分を壊せたと思っていたのですが、ふとした時にその嫌な自分が顔を出します。

 

多分、過去の私は日本の友人に「頑張ってねー」と無作為に声をかけていたんだろうと思います。相手が何を今感じているのかも聞かずに。それが時に相手を傷つけていたかもしれないと、今更気がついた。実態のない「頑張って」はただのプレッシャーでしかないかもしれない。心を広く持って、気にかけてくれて嬉しいな〜と受け止めるより他にありません。

 

私は子供の頃から「そんなに頑張らなくていいよ」と母に言われて育ちました。今でも鮮明に覚えているのが高校受験が終わった時に「もうそんなに勉強しなくてもいいんじゃない」と言われたことです。私が何かに打ち込む姿は、母をハラハラさせるようです。それは今でも変わりません。母からすれば、満足にご飯が食べれて、安全な場所で、優しい人に囲まれていれば、それが全てなのです。ドイツ語がしゃべれようが、大学を卒業しようが、母にとってはどうでもいいというか。

 

一番近くに、頑張れを言わない人がいるのに。どうして私は考えなしに頑張れハラスメントしてたんだろう。反省ばかりですね。今日、誕生日なんですけどね。笑

 

一つ歳をとったのを機に、頑張れー!と人に押し付けるのを卒業したいと思います!

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ハッピーバースデーわたし!