独り言を許せるようになった。

バタバタとしていて、それが少し落ち着きました。

 

ここに色々書いて投下するようになって、気が付いたらずいぶん長い時間が過ぎていました。新しい国で生活を始めた頃は、小さな知らないことを誰かにシェアしたくて、それが少しは次にそこで生活する人の役に立つかな、そんな気持ちで文章を書いていた気がします。

 

今は、自分のために書いていて、元々そうだったことに気が付いたような気がします。ブログが古い媒体と言われようと、自分と社会との間に曖昧に佇み、大したことも起きないここに、それでも時々今でも何かを書いてみようと思うのは、結局は私の人生のようだなとも思うのです。その先に根気よく、この文章を読もうと思ってくれる人が居るのが不思議ですが、こういうのは理由なく嬉しいものとして受け止めたいです。

 

表面的に、私は人に恵まれて生きてきました。それは今も変わりません。

昨日、深夜に一人で映画を見に行きました。ちょうどウィーンではフィルムフェスティバルが開催されていて、今までは大学の授業の一環でクラスメイト達と参加していましたが、今年は自分が見たいものだけのチケットを買って席に座ることにしました。

 

映画の終了時刻は、最後の路面電車の時間に間に合うぎりぎりで、映画館を出て、がらんとしたオペラ座前を通り抜けて、間に合わなくても歩いて帰れば1時ぐらいには着くかなとのんきな気持ちで、空気が冷たいんだなと前を見ていた。でも、もうウィーンで道に迷うことは少なくて、電車を捕まえて、家路についた。5年前は駅の名前を読むのも大変で、余裕をもって向かっても、いつも遅刻して、英語で友達に謝っていた。あの頃の彼も彼女も、今はもうウィーンにはいないけれど、大丈夫だよと言っていた顔を思い出す。

 

家族から離れた場所で、シングルで、30代後半の女性は、淋しい。

多くの人が家族や子供を持ち、もしくは仕事に邁進しているはずの時間を私は考え事をして過ごしている。それははたから見たら寂しく見えるだろうし、淋しくないかと聞かれれば、淋しいかもしれない。

 

でも、私はみんなが出来ることが出来ない。子供の頃からそうだった。

皆と同じことが出来ないから、出来ない自分を責めて息を詰めては日本から出たり戻ったりするようになった。最近、研究者が日本の同調圧力が合わないというようなことを公の場で口にして話題になったと母が言っていた。母が私が同じようなプレッシャーから海外に出ていると思っているようだった。

 

ここにも同調圧力は存在する。長く深いキリスト教を暗黙にベースとした言説の世界で、そうではない私が生きていくには、母国とは違う愛想笑いが必要だ。私がその国の言葉の世界で生きているというのも、もちろんある。もしかしたら禍の研究者の環境は本当の意味でインターナショナルで、一つの無意識の言説が支配しない世界に身を置いているのかもしれない。でも国境で線が引かれる世界において、本当のインターナショナルやグローバルというのは、それぞれが、それぞれのテリトリーをそのまま持ち寄り犯しあわない、あえない、ほんの少しのディスタンスがあって成り立つのかもしれない。同調がない世界は少し孤独でもあるのだと思う。

 

もう一度、もどる。

私はみんなが出来ることが出来ない。

でももし、出来ていたらと考えたら、不思議なことが頭に浮かんだ。

私はもう、この世界にはいないだろうな、と。

今のような、学問に戻るような世界はなかったかもしれないし、そもそもこの世界に留まっていられなかったかもしれない。

 

私は人に対して率直にしか生きられない。だから、そうじゃないことを相手にされると、一人で静かに深く傷ついてしまう。それは相手が自分の子供でもそうだっただろうと思うし、そういう意味で、私は母親には向いていないと今も昔も思っている。人生の中で何度か家族を持とうという話を提案されても、どれだけ相手を愛していても、私はその線を越えられない自分を知っていた。果ては自分が壊れるか、愛するものを壊してしまうか。

だから淋しいほうがいいな、と思うようになった。自虐めいた暗示のようだが、割とそのおかげで、今も生きているような気がする。

 

どれだけ人に恵まれていても、周りの人が私に対して抱いている「Kikiとの間には見えない壁がある」という気持ちをどうして私が与えてしまうのか、原因はわかるが、そのままにしている。それがいいようだ、とそうやって自分を許している。

 

電話をすれば話を聞いてくれる家族も友人もいる。

困ったことがあれば助けてくれる、助けたいと思う人たちが周りにいる。どうでもいいようなことで笑い話をしたり、昔話をしたり。

それでも孤独であると独り言を言えるようになった。それは孤独である自分を許したのだと思う。みんなのようには出来ない自分を許したら、それが孤独という言葉に集約されたのだと思うのです。一人で深夜に映画を見たり、日がな一日、本を片手に森を散歩したり。その世界では私は難しい人じゃなくて、ただの孤独な人で、そのほうがいい。

 

少し現実的な話をすれば、今学生としては最後の制作の真っただ中にいます。この4年間、たくさんの本を読み、それ以上にたくさんの摩擦を経験しました。それをアカデミックに言葉に置き換えて言説の世界でシェアしている学者や批評家の人の言葉を受けて、また、卒業したらそういう世界もあるよと少し誘いも受けたりしなが、ここしばらく考えていました。

私はそれでも言葉の外側でまだもがいていたいのではないだろうか。私が話したいことや日々のことをシェアする環境として、アカデミックな場のほうが簡単だというのは割と想像が付きます。だからその世界の人にお誘いを受けているのでしょうし。その世界では、簡単に「あなたは賢いから」の一言で片づける人もいないのでしょうし。でも、話が通じる人と話がしたいのかと言われれば、なんだかそれも違うのかなと思う自分がいます。そもそも、賢いかどうかと、俯瞰的に自分を眺めることに意味がないとも思う。

 

私は、世界はグラデーションであって欲しい。

体系立てた世界ではなくて、何かわからないけれど、何かをシェアできる世界であってほしい。正解や強さを交換する世界じゃなくて、弱さが弱さのまま存在できる世界であってほしい。知識の階層を超えて、それぞれが違う何かを見つけられる世界であってほしい。ポジティブでなくても、それが二項対立だけの世界でネガティブと完結するのではなく、二者択一から降りた世界であってほしい。

こういう曖昧さが、私の制作の最終決定をいつもしていると思う。曖昧であるために作っている。そんな気持ちで今、制作をしている。

 

これが私の最近の、冬の始まり。