なぜここにいるのか、2019年の目標。

明けましておめでとうございます。今年も相変わらずのんびりとブログを続けていこうと思います。よろしくお願いいたします!

 

毎年、今年の目標たるものを定めないのですが、今年は定めようと思います。というのも2018年はただただ、反省ばかりが残る1年を過ごしてしまったから。何がどう、と言うとキリがないのですが、一番は芯のない生活をしてしまったこと。少し自分を見失っていました。

 

私は留学体験がしたくて、ここにいるわけじゃない。

大学生という肩書きや、卒業後についてくる院卒の学歴のために勉強しているわけじゃない。生涯年収を上げるために大学で学んでいるわけではないはずです。なのに、2018年は単位を最短で取り終わることやドイツ語のことばかりに気を取られていました。でも年が明けて、少し目が覚めました。

 

私は4年後にドイツ語がペラペラじゃなくても、多分後悔しない。

でも、作家としての自分を見つけられていなかったら、絶対に後悔する。

 

 

私の今学んでいることや、制作の内容、制作物については正直、この芸術分野に明るくない人に説明するのは非常に困難です。エンタメを否定するわけではないけれど、事実それとは少し遠いところでゴソゴソとしているので「見て、説明聞いて、はい感想」とはなりづらいと思います。そういう意味で、私自身もその説明を放棄しがち…というのはあまり良くないのでしょうが。まぁ、ちょっとめんどくさいんですね。身も蓋もなく。笑

だから、私を形容する言葉は「芸大生」であってその先にある本質についての評価は、ある種内部にいる人からしか受けません。本質以外の「留学生」であり、「ドイツ語の勉強をしている」という誰からも簡単にジャッジされるものを持っていますし、自分で説明もしないので、その部分でのジャッジが増えます。

 

多分、そのことに流されていたんだと思います、2018年は。

でも夏休み明けに、教授にも先生方にも「語学は最優先事項じゃない」と釘を刺されたことがひどく胸に残っています。まさに図星です。

 

でも、語学が苦手な私からすれば、甘える言い訳にもなりかねないその言葉を、自分でどう処理すればいいのか考えあぐねていました。その言葉の通り「そうだよね、語学は二の次」と甘えるのが怖い。そう思って、周りに期待される以上のことを、私は語学について自分に課してきたように思います。誰に言われなくても、早く習得しなければって。それで年明け早々1月にドイツ語試験への再挑戦を決めて試験に申し込んでいました。今日、1月のドイツ語の試験日程を変更しました。

 

試験勉強とは名ばかりですが、ドイツ語の勉強をホリデー中に再開して感じたんです。

夏にはちんぷんかんぷんだったことが、今は少し難しいな〜に変わったことを。ドイツ語を勉強し始めてちょうど1年。「あぁ、日々少しずつでもやっていけばこのテストには合格できるかもしれない」と、初めて思いました。2018年中は、やってもやっても、出来るようになる気がしなかったのに。

 

でもまた、日にちに追われて自分を自分で追い詰めたら、この感覚なくなるなって。

先生がくれた4月までの有効期限をフルに使って、制作に影響がでないペースで地道にやろう。取捨選択をもう間違えないように。1年で初心者レベル、生活できるレベルにはなったことを素直に喜んで、自分のペースでやればいい。

 

制作することにすべての焦点を合わせて、それ以外はそれこそ二の次でもいいかもしれない。安全な家に住んでるなら、もうそれでいい。毎日ご飯が食べれて、家賃が払えているなら、お金のことを心配するのも今はやめよう。授業に出て、流暢に意見が述べられなくても、講義やディスカッションの内容が理解できているなら、今はそれでもいい。

 

1年かけて、やっと最低限の暮らしの環境が整いました。だから、巣作りは一旦お休み。「よりよく」は制作物にのみ求めようと思います。

 

2019年は原点回帰。なぜここにいるのか、に拘りたいと思います。

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