私という座標軸。30代で学生になるのが心配ですか?

7月になってから、夕立に降られることが多くなりました。

今日も路面電車に乗ってすぐにざぁーっと降り始めました。私は車窓から雨の景色を見るのが好きです。雨風をビジュアルとして眺めているとカーテンみたいで、電車から降りれば足元に水鏡、なんだかお手軽タイムスリップみたいです。もちろん、西日本豪雨のニュースも拝見しています…私も呑気なものです…。

まぁでも直近で旅行にいらっしゃる方は折り畳み傘があるといいかもしれません。

 

少し前の話になります。このブログを通じて、こんな質問をいただきました。

「年齢差のある学生に囲まれた学生生活はどうですか?」

今までもつらつらとクラスメイトたちとの日々を綴ってきたので「まぁ大した問題なさそうだよね」って感じだと思いますが、周りの様子を交えて少し書き残しておこうと思います。

 

 実はこの話、何度か下書きしては消して…を繰り返していました。

というのも、もうすぐ1年になるこのウィーン生活で自分の座標がどうも「一般論」には当て嵌らなそうだと気がついたからです。色々と偏っているであろうことを語学学校に行き始めたこの夏休みに痛感しました。

マスに当てはまるとは到底思えませんが…情報ブログとして、ここを覗いてくださってる方は殆どいらっしゃらないと思うので、まぁいいかぁという気持ちに。そして、またこの下書きを開きました。

 

何度かの下書きで、日本との対比で平均年齢は〜とか書こうとしたのですが。そういう数字の話は全然関係ない気がしてきました。気になる方はご自身で調べていただくとして…簡潔に言うと18歳で大学1年生になるという習慣はあまりありません。年齢が均一化されてる環境をご想像されてるようでしたら、そうでもない。そんな感じです。

 

さて、私には同級生が2人います。(本当は私を入れて5人なのですが、一緒に次のセメスターに上がるのは彼ら2人です。)ともに20歳、一人はドイツ人の女性、一人がオーストリア人の男性です。

実は彼ら、あまり仲が良くありません。笑

 

何を隠そう、同い年の彼らの間にこそ「年齢差」なる問題があります。ドイツ人の彼女はとてもオーガナイズが得意で、きっちりした性格です。彼女の社会性と社交性は20歳らしからぬ大人びたものがあります。そして彼女自身もそう自負しています。だから、なのか彼女のオーストリア人の彼への評価は「若すぎる」です。

「もう、また変な冗談言ってる、あぁうんざり。はぁ」とか「なんでそんな短絡的な質問するだ、マジで」とか、そんな感じでよくイライラしてます。そして折に触れ二人の意見は衝突して言い合いになります。私はそれをいつも間に座って静かに聞いています。さながら兄弟喧嘩のようで、ちょっと面白いです。あれだけ喧嘩腰で言い合っても、困ったら一応助け合う。不思議な関係です。喧嘩するほど仲がいいって言うのともまた違うんですがね。笑

 

確かに、彼女が言うように彼の発言には若々しさが満ち溢れています。彼を知る人は口を揃えて「彼は若すぎる」と形容します。彼は「わからない、難しい」と議論中でも言いますし、今それ言わんでも!というタイミングでジョークをブチ込んできます。そして彼女をイラつかせる。

 

私はというと、彼のそういうところが好きです。臆せず思ったことを口に出せる素直さが羨ましくもあります。私たちは一回り以上離れているけれど、良い友人です。彼が私に「君は僕の10年分すでに色々なことを学んでいて表現できるんだね」と言ったことがあります。私は彼に「私が得意なことと、あなたが得意なことが違うだけだよ。好きなものや苦手なものが違うだけ。そう思わない?」と返しました。

それ以来、彼は臆せず「僕はこれが得意だから、いつでも教えてあげるよ」と助けてくれます。ちなみに彼は技術系の分野が得意で、設計図面の理解度がクラスでナンバーワンです。その代わり「君の得意なクリエイティビティについては僕は悩みだらけだね」と相談されることもあります。でもそんなことない。彼は素敵なユーモアを持った人です。入試の課題の時からそれは一貫しています。これから、学んでいる理論や哲学、様々なものが彼を膨らませていく。

 

私には彼とよく似たデンマーク人の友人がいます。彼と出会ったのも彼が20歳の時でした。同じように瑞瑞しい若い青年でした。今もまだ27歳と若いのでしょうが、同世代の友人と変わりません。デンマークで大学院に行きながらインターナショナルな面白い案件をバンバンやっているデザインスタジオで働いています。7年間で彼の作風は大きく変わりました。今では兄のようなアドバイスをくれることもしばしば。

 

話はウィーンに戻ります。

20歳から25歳前後の彼ら。多くのクラスメイトは「自分は若すぎる」という悩みを抱えています。おそらくは、私たちの専門分野や芸術を勉強する学生特有の悩みかとも思いますが…。時々、英語もドイツ語も拙い私にそう漏らすほどに「若さ」を彼らは特権としていません。日本だったら18歳の中に混じれば「姉さん」なんてあだ名をつけられて、いじられそうですが、そういうこともありません。

 

私の経験だけで言うと、30代のあなたが、彼らとの間に線を引かない限りは心配しなくても大丈夫じゃないかと思います。逆に、あなたが「あ〜もう若くてうんざり」なんて態度を取れば、相手だって閉じてしまいます。時々、ほんの一瞬私にもそんな戦いが自分の中で起きます。そんな時はただ「そんな簡単に線を引くなんてナンセンス」と自分に一喝、それだけです。

もちろんコンサバティブな環境が海外にないとは言えません。そういう場合には、この窮屈さは自分の年齢のせいじゃないと開き直っていいと思います。

 

私にとって、私という座標軸だけが唯一の関心事です。

ここに来るまで、私は私の位置を全体から把握してきました。そうすると、30代の自分や日本人、女性、大学生と肩書きから自分の位置を弾き出そうとしてしまいます。相対評価で自分を眺めるのは、なんとも滑稽だと気がつくのに随分と時間がかかりました。客観視しずぎていたのかもしれません。

今は、「私」を中心に物事を捉えればいいのだと思えるようになりました。それは彼らが「私」と付き合ってくれるからでしょう。30代の日本人の未婚の女性の学生ではありません。私自身と彼らの最大の関心事はWho you are?に対する表現だけです。

 

私は、5年後、10年後に今のクラスメイトたちとどんな関係で、どんな話をしているのか今から楽しみでしょうがありません。

 

 心配いらないと思います。あなたが何歳だろうが。

自分がどれだけ周りを信じられるか、ただその事と向き合うだけ。そんな気がします。