この数週間、精神的にとても不安定でたまらない。
ベットの頭上にある大きな窓のあるこの部屋は、今の私にはたまらなく危険だということを昨夜感じて怖くなった。何がどう繋がっているかわからないけれど、自分の心が折れた音が聞こえて、その恐怖に耐えられないのでここで吐き出そうと思う。
続きを読むこの数週間、精神的にとても不安定でたまらない。
ベットの頭上にある大きな窓のあるこの部屋は、今の私にはたまらなく危険だということを昨夜感じて怖くなった。何がどう繋がっているかわからないけれど、自分の心が折れた音が聞こえて、その恐怖に耐えられないのでここで吐き出そうと思う。
続きを読む3月11日午後2時46分。
私はいつもこの時刻をどう過ごしていいのか分からない。日本にいれば黙祷の号令にしたがって、そっと目を閉じ祈るが、その祈りも半分懺悔に近い。
私は東北に親戚も親しい人も住んではいなかった。でも当時日本に、特に東北から関東に住んでいた人にとっては身体を貫いたあの揺れとあの光景は忘れることがないだろうと思う。私がその一人だ。
私はその日、深夜に仕事があって、日中は自宅に居た。身の危険を感じる揺れに、慌てて窓を開け、2度目の揺れで外へ出た。平日の日中に家にいる人はそう多くなく、近所の同じように外へ出てきたお婆さんと驚きと恐怖を共有した。これはただ事ではないと思い、家に戻りテレビをつけたら東北地方で地震があったとどの局もニュース速報に変わってた。そのライブ映像は、そのあとに起こる津波など想定していないので、津波が押し寄せるその瞬間、人が流されていく様まで映し出していた。何が起こったのかよくわからない。人も車も家もジオラマのように流されていき、千葉に映像が切り替わればタンクが燃えている。
東京の街は夜を取り戻したかのように、目を差す光が姿を消した。原発事故の重大さに気がつくまでに数日がかかった。それでもなお、電車は動いているし、家がある私たちは働くしかない。夜の地下鉄の中で、ライトの眩しさに罪悪感を爆発させ嘔吐したのを覚えている。まるで資本主義という名の味のしない酒を大量に飲みすぎたような気分だった。その罪悪感は未だに消えていない。
それから半年もしないうちに、私はデンマークで暮らしていた。
海から吹きつける突風を利用した風力発電のプロペラが回るその光景を浜辺でじっと眺めながら、国の規模が違えど、でもそういう理由じゃないことだけは足りない頭でゆっくりと理解し始めていた。再生エネルギーやエコロジーに対するデンマーク国民の取り組みは現実的であり、生活に根ざしている。実態があるその姿は、まるで自分が亡霊のようにすら感じたもので。
私は、未だに原発が稼働し、何が安全で何が本当の情報なのかを知りえない、そういう空気を作り出している加害者だろうと思う。原発に対するすべての情報が操作されている、嘘だ、とは思わない。現に安全性について研究している研究者の先生のお話を聞くこともあったし、その人が嘘をついているとは思わない。でも福島で起こったことはそういうことじゃないような気がする。科学的な絶対が自然に負けることはある。政治や社会について、興味も意見もあるけれど、それ以上に日本国民の声は政府には届かないということも冷めた部分で認めてしまっている。だからデモに参加したり、政治活動に参加しようと積極的に思えない。それがそういう空気を押し流している悪循環を生んでいるのだろうが、それでも砂に針を立てるようなもので、私は違う方法で自分の加害者としての罪を滅ぼしたいと思う。
Marina abramovicのMoMAでのドキュメンタリーをふと見返していて思った。
欧米で福島を題材にするアーティストが私は基本的に好きではないし、大抵の場合は憤りと怒りさえ覚える。というかそういう趣旨のエッセイをファーストセメスターで突きつけて、ドイツ人たちに物議をかもした。でもその気持ちは変わらない。アーティストによくいる、批評家ぶって社会を風刺するのに他人の題材を扱う作家が私はそもそも好きではない。彼らには災害もなければ、安全な家があり、大抵は笑えるくらいに平穏な家庭に育っていることが多い。自分が傷ついたことがないから、皮膚を切り裂く痛みがわからないのだろう。私は生涯ナチスを題材にすることはないし、それにはそれ相応の理由と責任が必要だ。Marinaは自身の身体を虐待的に晒すことで、人が目を背けたくなる光景を私たちに提示してきた。痛みを伴うその作風は、私にはまだ飲み込みきれない部分も多い。そして63歳、MoMAでの作品では、ビー玉のような眼差しで自分の目の前に座る観客を見つめた。それは壊れた家や荒れた土地など見せなくとも、その人の中にある痛みをとり出せるだけの力を持っていた。
私が3月11日をどう過ごすべきなのか戸惑うのは、今も刑期を終えていないからだし、そのことがいつか終わるのかもよくわからない。ただ少なくとも、日本人というだけで震災の被害者のように扱われることがあるが、むしろ私は加害者だから…だから何を自分のことのようにも言えないけれど、でもそれは紛れもなく私の問題だ。
ただ一つ、福島は被災地だった。
今も爪痕は残っているし、まだ解決されていないことも多い。日本中で原発問題に何らかの明確な回答が得られるまでは、そのシンボルとして何年たっても被災地と呼ばれるかもしれない。福島での出来事を、次の世代の教訓にし、問題は解決しなくてはならない。だから被災地としての責任を負ってくれているのだろうと思う。でも3月11日に生まれた子供もいれば、8年前まではお誕生日をお誕生日として曇りなく祝っていた人たちがいるし、願わくば今年も美味しいものを食べて、あなたの生に感謝できていることを祈るばかりだ。もう誰もこれを理由に傷ついては欲しくない。
かれこれヨーロピアンに囲まれての生活も長くなってきましたが、時が経つにつれて謎が深まることが一つあります。彼らの団体行動に対する概念。
これは明らかに教育の差な気がしますが、どうなんだろうか。
そんなわけで私の抱く団体行動ミステリーを箇条書きしていきます。
こんな感じで、私の周囲は団体行動を行います。言葉が分かるようになっても、これだけは謎が深まります。学生だからか、はたまた芸大生だからだろうか?
続きを読むかれこれ最後に髪の毛を切ってからもう4ヶ月。いよいよ、みすぼらしい感じになってきたのでまた牛丼美容院へ行こうと思い予約の電話をしました。
ですが、タイミングが悪いのか、接客中なのか、はたまた一時帰国中だろうか?韓国マダムに電話が繋がることはなく数日が過ぎていました。あっ牛丼美容院の経緯はこちらへどうぞ。
そんな感じで夏セメスターがスタート。仕方なく髪の毛をこねくり回して無理やりアレンジしていました。するとイタリア人の友達が「kikiのアレンジ可愛いね」と声をかけてくれ、「いや〜美容院行きたいんだけどさぁ。カクカクシカジカ…」って髪の毛の話題に。すると彼女「私、人の髪の毛切るの好きなんだよね」と言うではないか。
そこで考えた。
牛丼美容院の韓国マダムはとても気さくで、チョっ早で、安いしいいのだけれど。
過去に3回全く違うヘアスタイルを希望して写真を見せたけれど、毎回それとは程遠いい同じボブ仕上がりなところが頂けない。でもウィーンではどうせどこへ行ったところでそんなもんかと、もはや悟りを開いていた私。清潔になればいいかってね。たとえ毎回ボブ一択でも。
ということは、友達がもし失敗して可笑しなことになっても、あの韓国マダムは私の髪をまたいつものボブに戻せる気がする。なんか面白いし、友達に切ってもらおう!
続きを読むドイツはハンブルグとベルリンに弾丸旅行に行ってきました。
同じスタジオで勉強していた友達が卒業して、初めての作品がハンブルグで上演されたからです。ベースとなったのは彼の卒業制作で、それはそれは本当に素晴らしい作品でした。今回劇場で正式上演となったものは、彼の作品からインスパイアされたもので、実態は別のものでした。というのも、今回彼を誘った企画者がすでに初演を終えたものに加筆されたコーポレートピースであってショートタームで制作されたから。それも、それなりに違うテイストで面白かったです。批評も抜群だったので第二弾があるかもしれません。とても素敵な夜でした。
久しぶり、とは言っても1ヶ月ぶりに会った私たちの話したいことは留まることを知らず。ハンブルグの街をブラブラしながらだぁ〜っと様々なことを話しました。ハンブルグは美しい街です。日差しも春、散歩日和でした。
彼は今の教授のファーストジェネレーション。そしてドイツ語が喋れないのに合格をもらった唯一の先輩です。彼から時が経つこと5年、わたしがそんな無謀な二人目。出身国こそ違えど、彼は母国でペインティングの学位を取得していて30代、これがセカンドスタディーと共通点の多い私たち。彼は私の日々の言えない悩みを、そっと救い出してくれる親友ですが、何より「これが美しい」という琴線が近しいというのが急速に仲を深めた一番の理由です。
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ösdのB2に2度目のチャレンジをしてきました。結果は来週には分かるのですが。…今回もギリギリアウトなんじゃないかと思っています…。でも3月に3度目の正直で合格したい!ギリギリでいいから。笑
ちなみに前回受けた時はスピーキングテストのパートナーと馬が合わなかった、もとい私のスピーキング力もひどいものだったので、散々でした。
今回はどうだったかというと、超ジェントルマンだった!!!
今回は私以外はどうも顔見知りな様子の受験者たち。スピーキングの順番待ちをしていた時にずーっと雑談が繰り広げられてました。その話を聞く限り、同じ試験対策コースを受けていたので知り合いの様子。そして何より、みんな超ペラペラで、B2レベルってなんだっけ?っとその会話を聞いていてガタガタとナーバスになる私。
続きを読むウィーンで暮らして一年と半年近く。私はウィーンに日本人の友達が殆どいない。
全く避けてないのに、片手におさまっちゃうんですね。すっ少ない…!
逆を言えば日本人以外の友達は有難いことに割と出来ました。もしブログをウィーンで知り合った数少ない日本人の友達が見ていたら、誤解を受けそうなので、ずっと書かないでいました。でも、これをその人達が見ても「でも私はkikiの友達だから」と思ってくれたらいいな。もし思ってもらえなかったら、私が一方的に親しいと勘違いしていただけということなので。まぁいいか、書いてみようと。どこか吹っ切れました。今日はそんな話題です。
ついこの間Googleに聞いてみた。”留学、日本人の友達ができない”って。
私はてっきり同じような悩みがある人もいるだろうし、何かそういうコラムとかあるのかなぁと思って検索。なんでもGoogleが教えてくれるわけじゃないけれど、こういうどうでも良さそうなことを検索してみると、意外と新しい分野を発見したりするので、つい聞いてしまう。
Googleは私の検索ワードをこう解釈した。
「留学やワーホリ中に日本人の友達しかできない」
Googleは私に冷たかった。地味に傷ついたよね…。
逆なんだよ!と一人でツッコんでみても、一般的な上位検索はそっちなのだ。私こそ、おい、そんなこと聞くんじゃねぇ、スベるだろうが〜とツッコまれたのかもしれない、Googleに。なんだかちょっと切なかったので、自分をサンプル1として書いてみることにしました。どうして留学中に日本人の友達が出来ないのかについて。
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