家探し大変編。完結したかのようで続いている。

ここウィーンの学生は日本でいうルームシェアに住むのが一般的です。

こちらではWGと言えば、あぁ〜誰かとシェアしているのねってなります。そしてそのWGには1人Hauptmieter(in)と呼ばれ、主だってオーナーと家の契約をし、家の状況を管理する代表者がいます。

 

今、Hauptmieterinの彼女を巡って、みんなが困っています。

家が見つかっても、落ち着ける場所とは限らない…海外生活あるある。洗礼を受けています。このままなら、また引っ越さなければなりません。とほほ。

 

引っ越し散々編を経て、今一緒に住んでいるルームメイトカップルとはとても仲良くやっています。このまま彼らと3人暮らしが続けばいいのですが…。

彼らは例のHauptmieterinの彼女と揉めていて今月までしかいません。気があう二人なのでとても悲しい…でも仕方ない。なぜなら、Hauptmieterinが完全に悪いし、私でも2ヶ月も住まないなぁと思います。一番の理由が見せられていた写真と全く部屋が別物であること。えぇ、その不満、超わかるよ!!あなたは間違ってない!!

 

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ドイツ語試験受験。相手のクセが強すぎた。

実は、昨夜に不安をつらつら綴ったのですが、自分で読んでて情けなくなりお蔵入り。何をそんなナーバスに…自分で選んだくせに。と自虐満載で、本日ドイツ語能力試験を受けに行ってきました。ösdのB2試験です。

受かる自信は限りなくゼロで挑み、

結果は聞くまでもなく…ダメだったでしょう。

 

B2試験レベルとはどんなものか。興味がある方も少ないでしょうが、一応前置きとしてゲーテでのB2レベルの説明を貼っておきます。評価基準は同じでしょう。

B2
抽象的で複雑なドイツ語で表現されても、その趣旨が理解できます。自分の仕事や専門分野に関する事柄なら、ドイツ語で行われる議論の内容が理解できるだけでなく、自分の立場や意見を述べたり、あるいはひとつの意見に対する利点と不利点を論述したりできます。日常的ないくつかのテーマでは、広い範囲にわたって明確に意見と情報が交換でき、ドイツ語を母国語とする人との間で、相互に困難を感じずに自然な会話が成立します。

 
つまりはB2の合格証明書はあなたがドイツ語を自立した言語として使用できる証明となります。
 
私はドイツ語を自分の言葉としてまだ全く機能させることが出来ていません。B1くらいまではなんとなく誤魔化しながら過ごせていました。もともとゼロベースだったので、それなりに成長も感じていたのですが、B2の壁は高い。
 
自身の語彙の少なさと文法の曖昧さをただただ自覚させられた4時間でした。そしてただひたすら反省して帰ってきました。どうしてこんなにおバカなんだろうか…私。
 
結果は聞かずとも…なのですが、一応水曜日の午後に出るので、水曜日の午後にまた月末の試験を申し込みに行こうと思っています。自分への信頼はゼロです。
 
そんなボロボロの試験だったのですが、一つ面白かったのが口頭試験。
別の受験者とペアで会話形式で行われるのですが、相手がまぁクセがすごかったです。

海のポストカード。

悪いことがあると、傷ついて泣いたその後でほんの1ミリ安心する自分がいます。

生きている、と。

 

私は自分の人生の中で、温かい人達に囲まれて生きてきた自負がある。多少家庭環境が複雑であったとしても、社会から脱落し苦しんだことがあったとしても、普通の人が経験しないような読んで字のごとく「死にかけた」ことが2度あろうとも。それでもそのすべて一つ一つをとり出せる程度には「今」を見つめる余裕が私の人生にはまだある。

 

ドイツ語の勉強ばかりで頭おかしくなったんじゃないかと心配されそうな始まり方ですみません。笑

 

でも実際、制作していないと息をするのは難しい。それはこの3ヶ月痛いほど、生きる気力というのは恵まれていればいるほど案外簡単に自分で手放してしまう危うさがあるのだと感じています。ただ、これを書いてる今日もドイツ語の勉強をしていますが、同時に美味しいパンケーキをご馳走にもなりました。(つまりは元気です)

 

以前、キリスト教の友人に「世界は平等でない、なぜそれでも神を信仰するのか」を悩んでいるという相談をされたことがあります。私の宗教観と彼女の宗教観は別物なので、そもそも同じ場所から景色を眺めることは簡単ではありません。

 

それでも彼女とは、同じ立ち位置を互いに探すことができます。

 

時々、ヨーロッパで生活することの一番の窮屈さは「西洋史と宗教」だろうと思うことがあります。すべての物事を、彼らは西洋的眼差しで語っている。そして驚くことにそのことに気がついていない。私の窮屈さの原因は「視線が一つしかないことに気がついていないこと」だとハッキリとそう感じます。

 

そして視線を広げた先のものは「変異」であり「同じ人間という動物のなす生活様式」としては腕に抱くことも難しい。これが世界の仕組みなんだろうか、とふと思うことがあります。そしてこの「似て異なるもの」が共存する可能性に対する信頼のなさと、考える動物である人間のブラックポイントが大きな影となり、時にその日陰の冷たさに人は恐怖を、そして排除を持ち込むのかもしれません。漠然としていますが。

 

自由だけを提供されることなど、まだまだ難しい。

勝手に引いてきた線と線が自由を切り裂いて大地を走っている。

 

人生で「痛み」ほど誰かに触られることも理解されることもないのだということを学んできました。私も誰かの「痛み」を私の痛覚を通して実感することは叶いません。

 

でもだから、人に話してみようと思えるのかもしれません。

この痛みを彼女が、彼が、感覚として苦しむわけじゃないから、大丈夫と。

 

想像を絶する自然災害が母国で起こるたびに、自分の無力さと、そもそも人間は無力だという真実を呆然と眺めるしか出来ない、そういう夏でした。それでも心が痛み、心配になります。あなたの辛さに触れることはないと心の底で理解していても、寄り添いたいと願う感情は自然と湧いてくるものです。

 

ドイツに帰省中の友人からポストカードが届きました。

北海道の地震を心配して、綴ってくれた手紙です。

 

いつも滞在先の観光地的なアグリーセンスなポストカードをジョークで送ってくれる彼女。今回選んだのは、彼女がフランスで撮った綺麗な海の写真でした。そういえば、私は日本の瀬戸内海の景色が一番好きだという話を彼女にしたことを思い出しました。手紙は一度、すべてを書き直した跡がありました。彼女が切手を貼ったその後で、北海道の地震を知ったのだと思います。

 

ここからは極東の。

違うもので。

ここでは深い理解は得られない小さな島国。

 

ドイツ人の彼女がフランスの海を眺めて、

行ったこともない、遠い彼の地の

日本が、北海道が1日も早く元気になることを願っています。

 

私も願っています。

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一人じゃないって素晴らしい。

お引越しして早1週間。引っ越してよかったと日々実感しています。最初はどうなることかと思いましたが…どんなだったかは引っ越し散々編へどうぞ。

 

kiikiii.hatenablog.com

 

ご心配おかけしたみなさま、Kikiは元気にやっております。ジブリ的に。

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テーブルにヤスリをかけ塗装し直すというミッションは残っているものの。自炊再開!

 

ですが、順風満帆でないのが人生。

私は今ウィーン生活最大の山場を迎えております。

そう、この夏ひたすら書き綴っている「B2」試験のリミットが刻一刻と…。どの語学の先生にも1年未満なんて無理だ、日本人には特に無理だと痛いところをえぐられ続け、泣いています。知ってるよ〜!時間があるなら私だってもう1年ぐらいドイツ語だけ勉強したいよ〜!と叫びながら、自覚しているでも変えられない辛い条件をグイグイえぐられてダメージは瀕死の重症です。もしこれが、まだ学生寮に住んでいてい一人だったら「もう日本に帰るか…それしかなかろう」ぐらいに戦意喪失して、落ち込んで立ち直れていない気がします。

 

昨日、プライベートレッスンの先生にこっぴどく泣かされました。

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語学マウンティング。

少し前に書いたこの記事。

アザーサイドが見えたのでそちらを追記したく、また開きました。

 

kiikiii.hatenablog.com

 8月は一番仲の良い大学の友達がインターンが終わりウィーンに帰ってきていました。彼女は9月からパリに交換留学するのでことあるごとに「これが最後かもしれないからkiki絶対来て!」の誘いを受け、結局週に1回以上会っていた気がします。でもそこには彼女なりの「ドイツ語を話す機会を作ってあげたい」という優しさも垣間見れるのですが。兎にも角にも、本当の最終日が昨夜のディナーでした。

 

彼女の”またねパーティー”だったので、初めて会う人も何人かいました。

その中に、ウィーンの国立音大生、ドイツ人男性。彼に会ったことで前述の記事の逆サイドが少し見えた…という話です。

 

彼はまず、イタリア人がドイツ語を話すときのイタリア訛りについて強烈なブラックジョークをかましてきました。正直、全然面白く無いよ、そのジョーク。でも初対面だし普通に右から左に受け流し聞いていました。ただ第一印象は悪いですよね、一生懸命話してるんだからいいじゃん、何様だよって思ってしまった。

 

そして1時間くらい経って、私が日本人とわかるとこんな質問をしてきました。

「君はステレオタイプの日本人では無いよね?」

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スパルタ語学学校パート3を断念。

ブログに新しくトラブルタグが追加される起源となった、前回の引っ越し散々編。ご心配おかけしたみなさま、そして優しい泣いちゃうコメントくださったみなさまありがとうございました。無事、パーソナルスペースは清潔を確保。快適になってきました。

 

さて、7月から2ヶ月通っていたスパルタ語学学校。8月の開始時にクラスが合わないということを書きました。結局8月はこのクラスでのストレスが大きくなってしまいました。

 

8月の先生は説明がほとんど無い状態でひたすらテキストを進めるスタイル。理解できないと訴えても、取り合ってもらえず、結局家で自習して理解するという日々でした。これじゃあ独学と変わらないし、むしろ大量の宿題を消化して1日が終了。テストの勉強まで手が回りませんでした。クラスの半分は私と同じ状態でチンプンカンプン。

 

結局1ヶ月で何が伸びたのか実感もなく、余裕の無い状態で辛かった。

 

ゆえに今日から始まるスパルタ語学学校のB2.2の授業を取るのかひたすら悩んでいました。結局答えも出ないまま9月の初日。どうしたもんか…とりあえず早朝用事があったので大学へ行きました。用事が終わってオフィスの扉を開けて外に出ようとしたら、なんと同じスタジオの6年生が立っていた!なんたる偶然!熱烈ハグ!

 

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怒って、掃除して、筋肉痛。引っ越し散々編。

新居に引っ越しました。まずは一言。チョウ・ツカレタ。

厄年かな?後厄か?なんなんだ。ブログのネタか?と言う感じにバタバタした1日でした。ウィーンに来て一番腹を立て悲しくなり、そして掃除しすぎて未だに筋肉痛っていう私の1日を時系列にご報告します。自分で言いたい、私頑張った。

 

9:00

学生寮の鍵を返却するためオフィスへ行く。ものの数分で終わると踏んでいたが、私の前の若者、推定18歳身長190cmが退去に際して部屋を汚したことやゴミ箱の蓋を無くしたことなどを訴え始める。まるで5歳の言い訳のようなベイビーボーイ。あまりの子供っぽさに周りがクスクスしている。そして新居に10時に着かないといけない私はイライラマックス。ベイビーボーイよ、ジムのお姉さんはママじゃないのよ。

 

10:00

ベイビーボーイのおかげでバスに乗れずタクシーを拾いなんとか10時に新居に着く。なぜなら友達がスロバキアから家具をトランスポート、そしてウィーンにいるのは私だけ。なので受け取らないといけない!間に合った!

 

10:30

スロバキアから携帯に到着連絡。でも全く何を言っているかわからない。かろうじて我が家の住所を繰り返していることだけ聞き取りアパートの前でトラック発見。シングルベット2つにダブルベット、テーブル、マットレス…とにかくたっぷり荷物を積んだトラック。降りてきたのはスロバキア人のお兄さん一人。まさかの一人で登場。どうやって一人で運ぶんだ!っていうか英語もドイツ語も通じず、ハードリーコミュニケーーート。必殺スマイルコミュニケーションに切り替え、運搬開始。もちろん一人じゃ無理なので私も手伝う。腰が痛い。笑

 

11:00

そんな最中にまさかの救急車到着。

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