なぜあなたがいつも社会に合わせなければならないのか。美容整形と留学。

振り絞って、踏ん張って、本日ホリデー前最終日。8時間のセミナーを乗り切りました。とはいえ、この授業はお気に入りの一つであり、確実に私のドイツ語力向上に一役買っています。ドラマトゥルギー。今日も盛りだくさんで満腹。

 

6ヶ月の大学生活、少しずつ自分の視点が広がっていることに自分自身で実感が持てるようになってきました。新たなファクターで思考することと、その回路の回り方の変化により、多くの疑問を自己議論し、また新たな命題を発見するに至る。一見堂々巡りのようで、そうでない会話や知識を得ることが楽しいです。

 

話は飛びますが、実はここ数ヶ月、自分の中で「美容整形とは」という興味が頭をもたげ、色々とネットサーフィンしていました。何か文献を読むほどではないのですが、「美容整形」という明らかに超個人的トピックをシェアし、さらにはそのシェアにより勇気付けられ美容整形に踏み込むというサイクルがネット上にはあるようです。不思議なことに私の目には容姿にコンプレックスを抱いている理由が写真から推測できません。「整形」ではなく「美容整形コミュニティ」。美容整形する人の理由はそれぞれ。ただ、私がぼんやり感じているのは内から湧き出る欲望のようでいて、実は外的要因に呼応した客観的プレッシャーによるものではないか?ということです。

美容整形自体は世界中見られる感覚です。カナダで毎週美容クリニックに行っていた友達がいました。彼女は美容整形ではなく、アンチエイジングに興味があって通院。ある日興奮気味に病院から帰ってきました。「先生が美容整形してた!」と。ちなみにお尻をアップしてボンっと出す美容整形。メキシコ系の血筋の先生らしく、ほぉ〜make sense!

 

先日、スタジオでクラスメイトがメイクのテストをしていました。日本のアニメーションメイクがアイディア元。通り掛かったら「見てみて!」と手招きされて見学していました。大きな目。キラキラで顔面の三分の一を占める目。鼻はもともと、漫画のように小鼻は小さくキュッと高いのでそのまま。そう、漫画メイクとはいえ、施したのはアイメイクのみ。それを見ていて私が「日本人の中には高くて小鼻の小さいスッとした鼻に憧れて美容整形する人がいるんだよ。例えるならあなたのような鼻だけど。」と言いました。するとそこにいたクラスメイト全員が眉を寄せ、一斉に「ハァ〜??なんで?」と驚きの声を上げました。私は驚かれたことがちょっと意外でした。

 

今までの同じようなシチュエーションなら「あ〜日本人の鼻は小ぶりだものね」(はっきり低いっていう人も)と納得されることが多かったからです。でも彼らは続けて一斉に「OK! 完全に違うセンスの発想だわ。意味わかんない」と。

 

ウィーンの劇場で美男美女だらけ、細くてスタイルのいい俳優、女優だらけ、という場面にはまず、遭遇しません。中世に遡っても、流行はあれど、全く同じ体型の裸体画しかないかと言えば、そんなわけありません。そんなものには誰も興味がないのでしょう。私も同感です。美意識というのは超個人的なものです。一般的なものがある、という方には一言お伝えしたい。「それは芸術を知らない一般論」ではないかと。もし芸術を知らないのが一般的であると定義されてしまえば、それはもうただ悲しいとしか言えませんが。私にとって芸術とは感受性を豊かにし、その感受性で他者や世界を思いやれるようになれるもの。自分以外の、もの、生命、環境でも、時空でも、思いを馳せられる感覚は、ひいては平和を持続する底力になると信じています。なので「そんなものは一般にはない」と言われるのは悲しいです。

 

海外生活の楽なところの一つに、私は容姿評価のプレッシャーを日常で感じないこと、と答えると思います。日本の文化は欧米と言うよりアメリカのレイヤーが濃厚なのでアメリカでのことは除きます。わからないので。おそらくヨーロッパ圏では、そう感じている日本人の方が少なからずいるのではないかと思います。憶測ですが。付け加えるなら「太った?」「痩せた?」と久しぶりに会って、体型のことを堂々と口に出すのは日本人の特徴だと思います。

 

ごく稀に「外国人が選ぶ日本人妻は美人じゃない」なんていう男性が日本にはいます。オブラートに包みましたが、もっと失礼な言い回しで。私にはまるで「日本の男性は容姿でしか女性の良さを感じられない」と言っているように聞こえます。そんなこと言うなんて、自分で恥ずかしくないのかと。

 

今まで、美容整形は個人の自由だからな、と私は思っていました。「コンプレックスで悩み続けるより美容整形して、明るく生きられるならいいじゃない」「可愛く(もしくはかっこよく)なるんだし賛成」肯定的な意見に対してまぁ〜そうかもなぁと。言い換えれば、否定できるほどの意見がなかったのですが。

 

その気持ちがゼロになったわけではないけれど、もし私の大切な友人が美容整形したいと言ったら。その理由が「人に綺麗と思われたいから」と感じたら。そのお金で、その未来永劫払うことになるかもしれないメンテナンス費用も含めて、留学を勧めるかもしれません。あなたのそのままの容姿で、息苦しくない社会があるかもしれないと、夢を見ることはできないでしょうか?と。どうして社会にあなたがいつも合わせなければならないのか、考えてみてもいいと思います。あなたのままでも楽に生きられる社会があると考えるのはそう難しいことじゃないはずです。

 

留学したらどこでもそう、ではないとも思います。

それでは、芸術の世界はどうでしょうか?多くの芸術に携わる人はすべての容姿に優劣をつけずに「特徴」「特性」として捉えてくれる可能性があります。私は背が低く、スタイルもよくありませんし、お世辞にも美人でもありません。でもなんのプレッシャーもありません。自信を持って、もし私が鼻を高くしたいと言ったらクラスの全員が「面白いこと言うね」と笑うか、真顔で「何があったんだ」とまず言うでしょう。そしてきっと「そんな必要ない」ときっぱりと意見してくれると思います。なんだか確信があります。