Wiener Fest Wochenに今年も行ってきた。

5月から延期されていたWiener Fest Wochen 2020がやっと開幕された8月の終わり。

まだまだ”通常”とは呼べない状況で、EU圏外からの公演などは中止されかなり規模を縮小しての開催でした。楽しみにしていたチェルフィッチュも中止。そんな中でも、劇場芸術、パフォーマンスを勉強している身としては、開催まで漕ぎ着けた様子を見届けようとチケット2枚をまずは購入。その後劇場で会った友人に進められてさらに1枚追加して、3公演を観劇してきました。批評文はドイツ語で奮闘中なので、ここではただの感想と言うか印象だけプレイバック。

 

とてもよかった。あぁ劇場に帰ってきた、そう思わせてくれたのが KerrsmaekerのDie Goldberg Variationen, BWV988

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音楽の中で踊るのではなくて、音楽と踊る姿が、胸に迫るものがあります。丁寧に準備された世界を通じて、芸術というグラデーションの中で生きてきた彼女の呼吸に耳を澄ます時間がこの半年満ち足りることのなかったタンクを満たしてくれました。文字通り静寂の中で踊り始める、風見鶏のようにあちらへこちらへ身体を回す姿が忘れられません。今回の舞台芸術を担当したMinna Tiikkainenの構成もいい塩梅。最終日だったからか、関係ないかもしれないが、鳴り止まないカーテンコールが彼女に「この困難な時に」と言う挨拶すら引き出してしまいました。踊る人に言葉を発話させるだけのパワーがこの日の観客にはあって、コロナ対策で間引きされてしまった座席の分も、足で床を撃ち鳴らす音が響き渡っていました。

劇場から出て、友達と「あの瞬間が忘れられない」とカフェで話し込みました。

彼女が手を広げて回る時、その水平に伸びた影が暗闇の中で浮かぶ姿、シンクロする舞台に横たわる金棒の影、1幕と2幕のつなぎ方。舞台を担当したMinnaはライティングデザイナーなのですが、暗闇の中で黒と漆黒のコントラストを作り出してしまう手腕は見事でした。どこにどの黒を使ったのか、カフェでずいぶん話し込みました。

 

ダブルヘッターでその日はもう一つPilippe QuesneのFarm Fataleも観ました。

 

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簡潔に言えば、明瞭でドラマトゥルグのタイムラインに対する疑問は少し残りました。人間中心主義の現代批判のようでいて、結局は何を主軸に(この場合はカカシですが)選んでもナラティブに語る上でどうしてもヒューマニズムが顔を出してしまう皮肉が、このナイーブなキャラクター達と相まって意図してそうなのか、結局そうなのか?を考えてしまうAtoZ的な時間軸が気になりました。私の感想に「超左な意見」と友達が笑っていましたが、それは否定できない。笑。どストレートに受け取れば、愛らしい感じでしたが…どちらにしろ、ナイーブなキャラクターを演じきっていた役者たちと、この簡素な舞台背景でそれを押し切れた主成分のマスクの採用はとてもいい演出だったと思います。嫌味でも何でもなく「観やすい演劇」を久しぶりに観たなぁと言う感じです。ちょっと物足りなかったのも本音。

 

今回の最後に観劇したのは、友達に勧められたMarlene Monteiro Freitas のMal-EMBRIAGUEZ DIVINA。ネタバレになるからか、映像は公開されていないので、公式からお写真拝借。

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あれ?いつの間に?の連続で、部分的に悪趣味で、かといって不愉快というよりはゾッとする。気がつくと置き去りにされた感じで、興味深かったです。ただ基本的に彼女のエステティックはあまり、好き嫌いで言えば好きじゃないからか、観終わった直後の率直な印象はちょっとKitsch...でした。何ていうか、Pinaとかが(おそらく)意図的に導入する効果としてのKitschではなくて、多分根本的にタイプかそうじゃないかと言われたらタイプじゃない類のKitsch。ただこれがEU圏でウケるテイストだということは、すごく理解できる。そういうことを抜きにして、テーマとして引いていたEvil(ポルトガル語でMal、悪魔)のコリオグラフと録音ベースの音楽との駆け引きは良かったです。こういう一見一般受けしなさそうなテイストを匂わせておきながら、案外シンプルに構成されていると言うかむしろ考えすぎて分かり易くなっちゃったのだろうか?と言う作品を観ると長期プロジェクトの難しさを考えてしまいますね…。もしかしたら前のFarm Fataleとドラマトゥルグに同じ人の名前があるので、それかもしれない…。観終わってから割と頻繁に考えさせられる作品ではあります。

 

ある批評文の最後を、終演のアナウンスで”zurück in unsere seltsame Realität”と締めていて、それはその通りでした。席に着くまでマスクは着用するし、できれば上演中も着用を促され、退席も列ごと、トイレは人数制限があり、バーも開いていませんでした。

 

それでも、舞台上にそれを前面におびただしく漂わせた作品が選ばれていなくて安心したというか。今の状況をダイレクトに簡単にテーマに出来るからこそ、そういうそれこそKitschな作品を目の当たりにしなかったことで救われました。

 

この数ヶ月、日本のニュースを目にするたびに感染してしまった著名人が何故か謝罪を強いられていたり、かと思えばお金をばら撒くことを影響力と言い換えたYOUTUBERみたいな人たちが感染防止を啓発している不思議とか、大学が再開されないのに献金集めの集会が開かれていたり、ウィルス問題がいつの間にかモラルの問題に焦点がズレた様子をインターネット越しに伝え聞くに「これはタフな世界だ」と感じています。それはアメリカでもそうかもしれませんね。大統領選を控えて、もうすごい。

 

かつてめちゃくちゃポリティクスな場として突きつけられていた劇場や美術館が、そもそもはそういう白か黒かの攻防戦から降りたグラデーションの世界だったことを思い出させてくれた気がします。私がアクティビストでなく、グラデーションの世界を愛しているように。

 

初秋のウィーン。劇場を出た22時はもう肌寒くて、散歩シーズンだなぁと歩いて帰宅しました。この半年のモチベーションを取り戻してくれたライブパフォーマンス。3ヶ月の延期は想像を絶する混乱だったと思いますが、5月早々に世界中で芸術祭が中止になった中、粘って開催まで漕ぎ着けたことに、心から感謝したいと思います。

Gut gemacht!