コロナ後がやってくるのか。

昨日から段階的な規制緩和の一つとして400平方メートル以下の店舗の営業再開や公共交通機関でのマスク着用義務化などがスタート。街に音が戻ってきました。

日本でオーストリアそんなに早く緩和して大丈夫か?と報道されたようですが、住んでいる身としては「普通に戻った」のではなく「コロナ(保菌者)がいる前提の生活が始まった」と言う感じです。店舗を今までと同じように営業するわけでも、電車にたくさん人が乗っているわけでもなく、ソーシャルディスタンスは楽観的に考えてもワクチンが運用されるまでの社会のあり方として受け入れるしかない。そういう生活です。外出自粛は4月末まで継続中です。

 

こちらの政府の対応を見ている限りは、科学的な数字に則り、感染症対策として冷静さを感じるので、何か爆発する前に事前に予測を立てて必要があれば締めるつもりだろうと思います。保菌者であるかもしれないと言う前提での生活を頑張る、という感じです。

 

発熱して自宅隔離中の父は、主治医の先生が出してくださった(防護服を着て外来後に診察してくださいました)解熱剤が効いており安定しています。持病があり、高齢なので、熱で体力を奪われるのを避けなければなりません。生活を共にしている母とは部屋をわけ、彼が使用した後は常にアルコール消毒という生活。検査を受けていないのでコロナかどうかは不明です。

 

3日ほど前に熱が下がっているからか、コロナじゃなかったかもしれない、仕事に戻れる〜という楽観的な両親と電話越しで大げんか。対策をしていない職場に戻るリスクと、対策をせずに学生を受け入れている無責任さを会社の上層部のせいだ、対策は上が考えるという発想に私がキレました。手洗いうがいは対策と言えるのか…楽観的過ぎないかい…親と喧嘩なんて何年振だろうか…。彼らの仕事に口を出すことなどナンセンスだと理解しているが、緊急事態なのでタガが外れてしまった。友人や知人にはこんなことは言えないかもしれない、でも親は諦められないと言いました。

 

管理職の人は管理はするけれど、基本的にアイディアは出さない(時間がない)。私の会社員時代のモットーです。平社員がすることは、具体的な計画と提案と数字を報告し、管理職の人が上に報告しやすく働きかけやすいものを作ること。管理職の人はそこへのし上がったコミュニケーション能力で上と政治をしてくれる。政治に力を注いでくれるその時間に、現場の私は地に足のついたことを考える。私のいた会社の管理職の方たちは軒並み若く、話も分かり、頭の切れる人ばかりだったのでとても働きやすかった。それでも決定が出るまでに時間がかかるのが組織。今話して、じゃあ明日からとはならないのも組織。

 

両親の直属の上司も話を聞く限り、判断力のある人だ。ということは、それに甘えて受け身でいるのは違う、提案できるじゃないか!現場の状態を報告する義務がある!学生が安心して食事をとるための最善策を考える責任がある。学生一人ひとりの意識など関係ない、システムの問題だという話をしました。自宅隔離中に提案して(そもそも今代理で働いている人のことを考えるとすでに遅い)、職場に復帰する時にはそれが反映されていなければならない。そもそも、自分が今現在感染者かもわからず、今後も保菌者である可能性は無くならないわけで、「元には戻れない」ということを理解してもらうのに想像以上のカロリーを消化しました。疲れた。

 

一人ひとりの人生感にどこまで寄り添えるか。これは科学とどう共存するかと同意だと思うので、とてもデリケートな問題ではあります。そこを捩伏せる形で敢行されているのがロックダウン。自分はリスクがあってもいいから金を稼ぎたい、稼がなければならない。そこにモラルをどう問うのか。コロナ後がいつやってくるかはわかりませんが、少なくとも年単位での長期化が見込まれる中で今後の議論のテーマにもなりそうな話です。「わたし」と「わたしたち」の摩擦をどれだけ軽減できるのか。すでにある経済格差という溝を考えると多くの「わたしたち」が見逃される恐怖もあります。

 

意見は言うが切れることの少ない娘にブチ切れられた両親は、今週、会社へ提案書を提出しました。日本の状況を耳聞きするに、長期化の中でお互いにどう安全に生活するかを考えなければならないような気がするからです。一番は感染しない、医療に負担をかけない。医療を提供してくれているのも人であり、その人にも家族と未来があるのだということを忘れてはいけない。絶対に。私はそう思って生活する。

 

私はというと、父の容体が安定していて、少し眠れるようになりました。今自分ができることは限りなく少なく、役に立たないことのような気がして大学の課題も授業も右から左でした。だけど、私は私の範囲で出来ることをしないといけない。しばらく飲んでいなかったコーヒーを久しぶりに入れて、今日はここを開きました。

 

普通って何でしょうか。

少なくとも、街に戻ってきた音を聞いて、考えることは続けようと思います。